野菜の日『トマト審判』 | ザスタのクマさん

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8月31日の「野菜の日」は、8(や)3(さ)1(い)の語呂合わせで野菜の魅力と摂取を促す記念日です。1983年に青果物関連など9団体が制定し、日本記念日協会に登録されています。

夏の終わりにトマトをめぐる話は、少し可笑しくて少し切なく、抒情に向いています。

トマト審判
野菜の日とは、妙に人を饒舌にする日である。
八月三十一日という、いかにも青く湿った暦の隅に、
トマトの赤だけがひそかに灯っている。

もっと野菜を知ってほしい、もっと野菜を食べてほしい
という素朴な願いが、この日に名を与えたという。

まことに善良で、少し照れくさい。

私の好きな野菜を問われれば、トマトと答える。
あれは畑の夕陽を小さく円めて掌に載せたようなものだ。

野菜の顔をして店先に坐りながら、
腹の底では果物の夢を見ている。

そういう曖昧なものに、私はつい親しみを覚える。
人もまた、所属のはっきりしない心象がある。
笑えば滑稽、黙れば抒情というような、
境目のあやふやな一瞬が。

そしてときに何者とも決めきれぬまま、
塩を振られ、皿に載せられ、それでも妙にうまく
生きてゆく。トマトとは、そういう少し可笑しく、
少し切ない存在の、食べられる比喩なのかもしれない。








十九世紀の亜米利加では、ほとんど禅問答めいた
争いのために、この赤い実が裁判所へ曳かれて行った。

植物学者は果物だと言い、役所は野菜だと言った。
争いのもとは関税である。美学でも真理でもなく
税率のために自然物が糾問されるとは、
文明はしばしば妙なところで本気になる。

判決は野菜であった。人は食卓でそれを甘味として
ではなく皿の脇に載せる。ゆえに野菜であるという。
実に常識的で、本当に詩のない理由である。

野菜か果物かと問う声が、どこか遠い法廷から
まだ微かに聞こえる。トマトは答えぬ。ただ赤く熟れて、
判決よりも静かに、人の暮しの側へころがって来る。








以前、夥しい数ののトマトを並べて撮影したことがあった。
赤、朱、橙、黄、緑の小球が卓上に群れ、まるで沈黙した
楽隊のようであった。撮影が済むとそれらは急に食糧へ戻る。

クライアント、スタッフ、隣近所へ配ってもなお余り、
我々は一週間、生のまま齧り、煮ては酸味をひらかせ、
油と草の匂いに和して、日毎伊太利亜の貧しく
陽気な夕暮のようであった。あの時、我々は、
ただただトマトに包囲されていたのである。

あれは畑の産でありながら、
いつも少し異国の匂いがする。

そうして最後には、トマトは結局、
野菜でも果物でもあり、またその
どちらでもない顔をしてつやつや笑って皿の上にいる。
まさに生活はたいてい皿の上にあるのだ。

そして一口噛めば、
夏そのものの残響として舌に残るのである。




最後までご覧頂きありがとう。

今日が良い日となり、

明日がさらに素晴らしい日となりますように晴れ。

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撮影レタッチ  文   熊谷


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