久々に旅日記を書きます。


ここしばらく、全く違う方面の話ばかりしていますが、本来このブログは旅日記のブログなので、今回は原点に立ち戻った投稿です。


「好きな花は?」
との質問に、色んな人が色々な答えを返す。

名前すら聞いたこともない、希少な高山植物の花を言う人もいる。
何が良いかなー、、と返答に悩む人もいる。

それぞれの想いが聞けて、結構おもしろい。


私の場合、道端でよく見掛けるような庶民的な花の方が好きである。
そしてとりわけ、菜の花が大好きである。
物心付いた時からずっと、その想いは変わらない。



そんな理由で、私は時々、菜の花の名所へ出向く。


昨日、行ってきたのは、神奈川県の二宮にある吾妻山公園
6万株もの早咲きの菜の花が、富士山、箱根や伊豆の山々、相模湾をバックに絶景を広げる。
今が丁度満開の見頃。

 





菜の花畑は、136.2mの山頂まで登らなくてはならないが、見る価値は十分にある。

登頂する道も、足場の悪い所はほとんどなく、15分ほどで私は登頂している。

山頂の菜の花畑は、朝はまだ凍るような寒さではあるが、陽が高くなるにつれて、少し厳しい寒さは和らぐ。


富士山とのコラボの写真は、色々なものの背景画像として使われたりもしている。


西には富士山が大きく聳える。
こうして見ると、東京から見える富士山とは別山のように、大きい山であることが分かる。
存在感が圧倒的である。





箱根から伊豆半島もすべてがその姿を現わす。




空気が澄んでいれば、伊豆大島も見える。
昨日も、木の向こうに、うっすらと見えた。



そして、更に空気が澄んでいると、利島も見える。
東京から南に約 140 km、ここ二宮からも100kmほど遠くにある、東京都の島である。
昨日も、うっすらと見えた。






北には大山もくっきりと見える。
東京からも大山は見える所があちこちにあるが、別方角から見た大山もまた格別である。
昔は、一度入ったら二度と出られない、と言われるほど熊の出没する山であったが、今では普通にハイキングも出来る。





ここの菜の花は絶景である。

まだ、ミツバチは飛んでいないが、もうしばらくすると、飛び回る筈である。

そして、菜の花のバックを飾る桜も、まだまだ開花は先である。

 

 

 

 

 






昨日は、2時間も居ずに下山してきた。


もうひとつ、別の場所へ行きたかった。



一駅移動して大磯駅で降りる。

ここも有名な場所があちこちにある。




鴫立沢(しぎたつさわ)

西行法師が詠んだこちらの句は有名である。

心なき 身にもあはれは しられけり 鴫立沢の秋の夕暮れ

 





他にも、伊藤博文の別宅だった 蒼浪閣も大磯にあったし、
徳川家康により進められた街道整備のための松並木は今も健在である。
(今回は行かなかった)



国道一号線を東に進む。


左に小高い山が圧迫してくるように聳え立つ。
高麗山である。
「こまやま」とも、「こうらいさん」とも読む。




高麗山の山頂には何もないが、そこからそのまま隣の山(湘南平)に然程の高低差がない道で行ける。

今日の目的のひとつは、この「湘南平」への登頂であった。
標高は約180m。

先ほどの「吾妻山」よりも50m程高くなる。
頂上には、テレビ塔はじめ、展望台もあり、絶景が見れる。


低山とは言え、一日に2つもの山を登頂するのは、体力的にもどうか、とも思ってはいたが、ひと月程前から足の状態を十分に準備していた為、迷わず進む。


実は、私はこの辺りの出身である。

子供の頃は、毎年何度もこの高麗山に登った。
小学校の遠足でも幾度も登った。

今回、高麗山、湘南平に登るもの、実に46年振りである。


「まだ体が動く内に、もう一度登りたい」
そんな想いがここ数年ずっとあり、今回登頂を計画した。


山の麓から湘南平の山頂までバスも通っているが、やはり、子供の頃のように自身の足で登頂してみたかった。

水車のある蕎麦屋を過ぎ、しばらくすると高麗山の登頂口に着く。
この水車のある店は、私がこの辺りに住んでいた頃から変わらず、現在も健在である。

(昔は寿司屋だったような記憶もあるのだが、この建物と水車以外は、ぼんやりとしか覚えていない)




高麗山の麓にある「高来神社(たかくじんじゃ)」

 



「久々にお邪魔致します。宜しくお願い致します」
とご挨拶をして、いざ山道へ。



登山道は「男坂」「女坂」のふた道がある。



「男坂」は急な険しい道であるが、その分道は短い。
一方、「女坂」は「男坂」に比べれば緩く、途中で展望出来る箇所もあるが、行程は長い。


登りは「男坂」下りは「女坂」で行くことにした。


山道は人ひとりが通れる程の狭い道である。

一歩間違えると、谷へ転落する恐れもある。

注意必要な山道である。




冬にも拘わらず、幾人もの登山者が居た。

途中、外には相模湾を一望出来る絶景が広がっているであろうが、木々が完全に遮断していて、それも見えない。

ひたすら足下に注意を払い、黙々と登っていく。

冬にも拘わらず、さすがに汗が出てくる。


一旦上り詰めた箇所から、今度は下山道かと思える道を下る。
思わず道を間違えたか、と疑ってしまう。

しかし山道は、すぐに登り坂へ転じる。

そして上り詰めていくと、急に木々の向こうに大きなテレビ塔がその姿を現わす。




もうここまで来れば、あと少しである。


そして登頂。

時間を計っていたが、麓の高来神社から、丁度30分で上り詰めた。

私がこの辺りに住んでいた子供の頃は、聞かなかったが、いつ頃からかこの高麗山から湘南平辺りの山々を「湘南アルプス」と呼ぶようになっていた。
「湘南アルプス」という呼び名に相応しく、なかなかの山道であった。

足腰は、、、少しは疲れたが、準備していた為か、びくともしない。

が、、、明日あたり、、、数日遅れた筋肉痛が出てこなければ良いのだが・・・。



頂上は、兎に角、絶景が広がる!!
相模湾が一望出来る。
山頂の木々も眺望のために伐採されているため、遮るものがない。

 





広々とした公園内には、その端に大きなテレビ塔と、低めの展望台、公園の逆側にレストランと展望台、ほんの少しの遊具、ベンチ、のみである。



すべて、眺望のみに観光焦点を絞った公園である。

しかし、これが良い!!!


兎に角、絶景である!

富士山も、雲が掛かりだしてしまってはいるが、ずっしりとその大きな存在感を示している。





テレビ塔へ登る。




ここは以前、そこの金網に、恋人達が自分達の名前を書いた南京錠を掛けておく場所で有名であった。
しかし、今は南京錠を掛けてしまう人はほぼ居ないようである。

テレビ塔の展望台は2階と3階がある。
2階は金網のフェンスがないが、3階は白い金網のフェンスがされている。




今回、初めて知ったが、東京スカイツリーにも電波を飛ばしているようである。

兎に角絶景!!!

横浜ランドマークタワーも遠くに小さく見える。





東京スカイツリーも遠くに見える。




江ノ島も見える。
 





テレビ塔を降りて、公園反対側にある展望台へ上る。
ここは何のフェンスもされていない展望台である。





ここからも絶景が見える。

 

 

 



東京方面も一望出来る。




先ほどの吾妻山公園ではうっすらとしか見えていなかった伊豆大島も利島もはっきりと見えだしていた。





しかし、、、山を吹き上げてくる強い風が氷のように冷たい。

防寒用の手袋をしていたが、それでも手指はおろか、手首までもがかじかむ。

先ほどの登頂で汗をかいていただけに、余計に体の芯まで冷え込む。



ただ、、それでも来て良かった!!!


子供の頃は、年に何度も、この絶景をみていた。
46年振りに、この絶景が見れて良かった!!!


ここも2時間ほどで下山。

下山道へ入ってすぐに三大仇討ちで有名な「曽我兄弟の仇討ち」時に立ち寄ったことで知られる
「曽我十郎 硯見の池」がある。





案内には、水を飲もうとした弟の五郎が、地面を強く踏みつけた時に水が湧きあがった、とあるが、、、
確か、昔は違った話が書かれていた記憶がある。

父の仇である工藤祐経への仇討ちを画策していた曾我兄弟は、建久4年(1193)、源頼朝が富士の裾野で大がかりな巻狩りをおこなっていた際、そこに仇敵・工藤祐経も居合わせることを知り、馬で駆け向かった。
しかし、休息もなく走り続けた馬は途中で倒れてしまった。
近くに小さく水が出ている泉があったのでその水を飲ませようとしたが、なにせ水量が少ない。
怒った五郎はその泉を力任せに足で踏みつけた。
すると、ごぼっごぼっと音を立てて大量の水が湧き出した。
「これはこれは!」と倒れている馬に水を与えると、たちまち馬も元気になり、仇敵・工藤祐経がいる富士の裾野へ間に合い、見事に仇を討つことが出来た。

というのが私が子供の頃にここで読んだ案内の記憶である。


ま、それはさておき、下山する。

登りの時とは違い、下山時には滑落に注意である。

岩肌が露出している道に、砂利や乾いた落ち葉などが積もっていると、非常に滑りやすい。

登り時以上に注意が必要であった。


下り時、「女坂」の途中からの展望はこんな感じ。







無事、下山。
下山は35分掛かった。


再度、高来神社へお邪魔致したこと、無事戻って来れたこと、の感謝を述べてそこを後にする。



さて、、子供時代をこの近くで過ごした私である。

やはり、気になる。
子供時代を過ごした街並みは、今、どうなっているであろうか。。


私がこの辺りに住んでいたのは、60年代、70年代、80年に入ってほんの少し、までである。

さすがに街並みも相当変わってしまっているのではなかろうか。。


遠い記憶を頼りに、昔住んでいた町を歩いてみた。



昔と大きく違うところは、兎に角人が少なくなった。

昔は道端で「井戸端会議」をしているおばさまたちがあちこちに居た。

それ以外でも、もっと多くの人が外を歩いていて、もっと喧々諤々とした空気が流れていた。
そして、兎に角、もっと活気があり、人々の生命力がもの凄く伝わって来ていた。

今は、殆ど人が居ない。
まるで別世界である。




時代の変わりとひと言で片付けてしまうのも、少し寂しい。


当時、私が住んでいたボロアパートは、もう昭和の終わりの頃に取り壊されているので、今はない。
今は見知らぬ人の家が建っている。


昔の友達は、どうであろうか???

ふと気になって、記憶を頼りに数件、見に行った。


もう、殆どの家が、建物も表札も別の人のものになっていた。

数名の友達の家は完全に空き地になっていた。

 

 


また別の友達の家は、そこに今なおあったものの、廃屋になって久しい状態であった。

 




それもその筈である。

もう半世紀近くもの時間が経ってしまっているのだから。。。


ひとつだけ、良い方向に変わっていたことがあった。
川がきれいになっていたのである!!!

昔、この辺りは大量のゴミや瓦礫、流木が流れ着いていた場所であった。





私の一番の友達も、丁度この辺りに住んでいたので、良く、昔ここのあった大きな砂山で戦争ごっこをして遊んだ。



今は、全くゴミひとつない。
見事なまでの変わりようである。

そして、川の水もこんなに澄んでいる。




相当ゴミ廃棄に厳しい規制が掛かったのであろうが、これは唯一、良かったと思えるところであった。



ただ、、あまりにも風景も人の数もが昔と違ってしまっていたためか、どこか別の知らない町へ来てしまったような感覚が大きく、「懐かしい」という感慨は起こらなかった。




子供の頃の思い出は、記憶の中だけにしか生きていない。

ま、寂しい話だが、それも仕方の無いこと。

昔の記憶や思い出は、それはそれで大切にし、前を向いて生きていかなくてはならない。

そんなことを思った。



帰り時、平塚駅で「都まんじゅう」を買った。
これも、子供の頃は良く食べていた。

 



この味は昔のままであった。


久々に訪れた、生まれ故郷を見て、色んな感慨に耽った、
そんな旅でした。

では。