最近、朝晩はすっかり冷え込む日も多くなり、すっかり秋!
秋と言えば、色々ある。
紅葉、食欲、スポーツ、読書、・・・色々ある。
しかし、秋の夕日、夕焼け雲、は絶対に忘れてはいけない。
一年で一番きれいな時期とも言われることも頷ける。
こちらは、数日前に撮った夕焼け雲。
まるで塗ったように、不気味なほど赤い。
横に長くたなびく雲は、まるで極楽浄土を思わせる。

こちらは別の日の夕焼け。

こちらは、さらに別の日の夕焼け雲。

本当に、日本の秋の夕焼けは見ていて飽きない。
ま、冬も夏も、日本の夕焼けはきれいだけど、秋の夕焼けは独特の味がある。
毎年、この時期になると、夕方のひと時、夕焼けを見ては感動している。
日本に生まれて、本当に良かったと思える。
では。
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ようこそ、ここまで!
最近、ちょっと投稿をサボっていたので、その穴埋めに、久々に隠し投稿です。
ここ隠し投稿では、生まれつき霊感が強い私が感知している、世の中にはまだあまり出ていない情報を少し公開しています。
霊感にも色々あるけど、、。
今回は少し、深掘りした話をしてみようかな、と思う。
ただ、、後から読み返してみると、、、霊界の真実とは言え少し厳しい話にもなってるし、何より書いていたら長くなってしまったので、、、興味のある人、時間が許す人だけ読み進めて貰えればと思います。
今回は、霊の世界での偽物、インチキ、について。
ただし、宗教団体などではなく、個人の偽物について。
霊の世界、スピリチュアルな世界、について興味を持つ人は多い。
実際に、そういった感覚・霊感等を持っている人もあちこちに居る。
そしてそういった感覚の持ち主は、時折、周囲に自身が感知している霊界の話をしたりする。
私もそのひとり。
そしてそういった情報を
「私は霊感がある」
「私は○○能力がある」
と言い、SNS等で投稿している人もいる。
しかし、感知できる霊界は、、実はその人それぞれで違う。
ある人は、人間界に非常に近い、死後間もない霊が棲む霊界ばかりを感知する。
ある人は、地獄界ばかりを感知する。
ある人は、仏の世界ばかりを感知する。
ある人は、人間界では想像もつかないような高い神界を感知する。
様々である。
たまにそういった投稿も見かけることもあるが、その投稿者がどういった霊界を感知しているか、それ以前に、本当に霊界を感知しているかどうか、私は私自身の霊感で瞬時に判断がつく。
たとえば、「○○の予知があった」との投稿をした人がいたとする。
投稿した予知が結果として外れようとも、その投稿者は実際に霊界から何らかの通信を感知していての発信だった場合、そのことも判ったりする。
しかし、そんな中で非常にタチの悪い存在もある。
実は、全く霊界からの感知も出来ない、霊感すら元々全くないにも拘わらず、 「私は最強の霊能者!」 と言わんばかりに振る舞う偽物である。
こういった存在も、私は自身の霊感で瞬時に偽物と判る。
が、、、普通の人はそうはいかない。
偽物でありながらも、自信満々なその態度に、つい騙されてしまう人も多い。
今日は、そういった偽物に騙されないための注意点。
まず、そういった偽物によく見られる特徴が幾つかある。
そういった人と出会ってかなり早い段階で判る特徴をいくつか挙げてみるので、
これからそういった人に出会った時は、それとなくチェックしてみると良いと思う。
- 人間性が浅い
- 傲慢である
- 非常に頑固である
- 非常に我が強い
- 「私は良い人である!」とのアピールが非常に強い
- 悲劇の主人公を演じたがる
- 強気な発言が多いものの、その発言の責任は取らない
- 霊についての話が、以前と変わってくる
- 強がりながらも、実は霊界で落ちることを人一倍怖がっている
- 善行を積めば、霊界で救われると単純に信じている
- 神社仏閣へよく参拝に行くから、自分は霊界では救われると思っている
- 言葉遣いなど、表面的なことばかりを取り繕い、それが高い霊界へ通じると信じている
- 周囲の悪い所ばかり見えている
- 人の悪口が人一倍激しい
- 他を悪く言うことによって、自分の正当や存在を示そうとする
- 何の罪のない見ず知らずの他人を悪く言い、その人を蹴落とすことが普通に出来る
- 自分は、○○宗教、●●経、などを信じているから霊界では救われると思い込んでいる
- 生涯に渡る修行ものは絶対に嫌がる、、が、修行した人にだけ与えられる結果だけは当然の権利のように欲しがる
まだ色々あるけど、、ここまでで5つ以上当てはまったら疑って掛かった方が良い。
こういった偽物は、霊界について話出してもトンチンカンである。
それどころか、ある日いきなり
「私は神を降ろせる!」
などと、とんでもない大嘘を周りの人たちに言い出す。
たとえ嘘でもそんな言葉を吐けば信者が増える、との魂胆なのであろうか。。
実に浅っぺらい、下らない了見である!!
挙げ句の果てには、
「▲▲次元の世界を目指す!」
などと、誰かが言い始めた話を、その言葉をそのままを受け売りして、自分自身がその先導者のような振る舞いで言い出す始末。
特に最近、この類いの発言をする偽物を目にすることが増えた。
まるで、自分は救世主であると言わんばかりである。
勘違いも甚だしい!!
そう言えば、最近も似たようなこと言っていた人いたね。

霊界側から見ると、魂の質はどちらも同じレベルである。
どちらも死後は確実に地獄行きである。
以前、私はそういった偽物を幾人か霊査してみたこともあったけど、、、一人残らず、中身は何の霊的力も持たないただの凡人であった。
もちろん、当人に守護神も出現していなければ、高い神の流れを引いている人でも全くなかった。
それどころか、救世主のように振る舞いながらも、実は当人が幾体もの低級霊や悪霊に憑依されているケースがほとんどであった。
そして、自身が憑依されていることには全く気付かず、気に入らない人のことを 「あにの人は悪霊に取り憑かれている」 などと、感知すら出来ていないことを言い出している始末である。
そもそも、「▲▲次元の世界」 など、、、こんな子供騙しにすらならないインチキを見抜くことすら出来ないのである。
普段から、詐欺などにも騙されやすいのではなかろうか。。
こういった偽物は、たとえば
「どんな人間が霊界入り後上界へ上がっていくか?」
「どんな人間が霊界入り後地獄落ちていくか?」
そういった霊界についての問いにも、一般的に宗教で言われている言葉の受け売り返答しかできないものである。
それもその筈。
元々、霊界のことも何ひとつ感知すら出来ないし、知りもしないのである。
それにも拘わらず、
「私は霊界で救われる!」
「私は神から選ばれし者!」
と、どこからその自信が来るのか、、、と不思議に思うほど自信満々にそう信じ切って、それを言葉に、行動に表わす。
そして、こういった偽物の何よりの特徴は、本人は意識しているかどうかは解らないが、兎に角、傲慢である。
人をバカにしたり、見下したり、偉そうな態度を取る。
さらに、兎に角、その傲慢ぶりもひどい。
そもそも、そういった傲慢な言動が、「人として醜いもの」 という感覚自体が元々全く無いらしい。
むしろ、人をバカにすることや偉そうな態度を取ることが、 「生まれながら人間に与えられた当然の権利」 のような感覚ですらいるようである。
どれだけ周囲から注意されても、本心から直すことは頑なにしないし、それ以前に理解すら出来ないようである。
人によっては、注意されると反発さえしてくる。
そんな人間性のおかげで、そういった偽物はこの人間界でも、周囲からはすぐに距離を置かれるようになる人が多い。
そしてもうひとつ、こういった偽物の何よりの特徴が、、、努力は絶対に実行しようとしないことである。
「死ぬまで修行すること」 など、もってのほかである。
ただし、、、修行をした人にだけ与えられる産物については、当然の権利のように要求してくる。
こういった偽物のせいで、真に霊感がある人までもが、どれだけこの世の中で白い目で見られがちにされてしまっていることか!
こういった偽物の存在は、本当に霊感がある人からすれば、迷惑千万な存在でしかない!
ちなみに、今話にあがった「地獄に落ちる人と」は、どのような人なのであろうか??
以下は私が感知している霊界での様子である。
よく、善行をした人は救われて、悪行をした人は地獄へ落ちる、と言われる。
確かにその一面もあるかもしれないが、、善行を積めば霊界で救われるということは、、、結論から言えば、、、実際は少し違う。
はっきり言ってしまえば、、この世でどれだけ善行を積んでも、それは霊界で救われるための尺度にも上界へ昇る助けにも、全くならない。
これは少し考えてみれば分かることである。
そもそも、「善行」とは何を指して言っているのであろうか?
例えば、
「人のため、世のために活動してきたこと」
「○○の奉仕活動をしてきたこと」
「●●の災害時に人を救ったこと」
「■■に多額の寄付をしたこと」
などをはじめ、
「コロナワクチンを打たないように周囲に注意喚起してきたこと」
なども、今の時代では善行かもしれない。
が、、例えそういった善行をしたくても、様々な要因によりそれを実行出来ない人もいる。
元々体が不自由でそういった行動が取れなかった人も居る。
寄付をしたくても、経済的にどうしても余裕がなく、出来なかった人もいる。
そういった人は、結果としてはここで言う「善行」をすることが出来ない。
では、そういう「善行」ができずに一生を終えた人は、霊界で絶対に上界へは行けないのであろうか?
人間界では五体満足で、経済的にも多少なりとも余裕がないと、霊界では落ちるのであろうか?
逆に、そういった善行を数多く行ってきた人でも、、実は、それらはすべて周囲から自分への評価が上がることを目的としての、本心とは裏腹のパフォーマンスであったらどうであろうか?
そんな計算ずくのものが、霊界を誤魔化せて上界へ導かれるであろうか?
いずれも、答えはNOである。
ちなみに私も、これまで随分災害ボランティアもしてきたし、極めて少額ではあるが色々な寄付もしてきたし、このブログでも 「コロナワクチンの危険なので打たないように」 ということも幾度も注意喚起をしてきた。
が、、、それらが霊界入り後に、私自身が救われる一助にも全くならないことを百も承知の上で、そういった活動をしてきている。
と言うより、、、今思い返してみれば、活動しながらも、私自身そういった活動自体を「善行」と思ったことすら無い。
何の見返りも求めていない、ただのボランティアである。
他にも、医者という職業は、人の命や健康を救うことを仕事にしている。
現界では立派な「善行」をしている人と言える。
しかし、今回のコロナワクチンでその正体が暴露された悪徳医者も非常に多い。
そんな、心の中は金のためなら多くの人の命など何とも思わない悪魔の本性を持ちながらも、表向きは、人の命を救ってきた「善行」をしているということで、そういった医者は霊界で救われる人間であろうか??
間違いなく落ちる!!
逆に、「悪行」に関しても、同様の事が言える。
そもそも、この人間界でも、時代や国などの地域によって、善悪の基準も変わったりするものである。
たとえば、武家時代の日本では、「仇討ち」というものは、立派な正義とされ、賞賛さえされてきていた。
が、現代で仇討ちなどしたら、どうなるであろうか。
凶悪な殺人罪とされてしまう。
徳川綱吉が発令した「生類憐みの令」が施行されていた時代は、蚊を叩いて潰しただけで島流しの刑に処されている。
それが当時の悪だったのである。
現代では、そんなことは全くない。
時代だけではなく、国などの地域によっても違う。
銃の所持が法で許されている国もある一方、日本では届出もなく銃を所持したら犯罪となってしまう。
一夫多妻制というものも、現代でも一部の途上国では認められているし、日本でも戦国時代の武将は正室の他に側室が複数いることが普通であった。
しかし、現代の日本では絶対に許されない!
このように、この現界での善悪の基準というものは、時代や国で流動的に変化しているものである。
そんな流動的なものの中の、ほんの一時の基準ごときに、永遠の霊界がいちいち左右されることはない。
そもそも、人間界で取り決めた一時の基準を、永遠の霊界に当てはめて考えること自体がおかしい。
これは何も、善行をするな、と言っているのではない。
善行はどんどんしてよいと思う。
人間界では立派な徳である。
ただ、霊界入り後に進む道へは、それはほとんど関係ない、ということである。
話を元に戻す。
私が感知しているところでは、現代では実はかなり大きな割合の人が、霊界入り後は下界に落ちているのが現状。
ただ、これは最終的な割合。
何年も、何十年も、迷い続けている霊も非常に多い。
そして、彷徨い続けた挙句、徐々に下界へ落ちていく霊になることが多い。
かと思えば、死後、もの凄い勢いで即、地獄へ落ちていく人もよく見る。
もの凄い勢いで即落ちていく人は、人間界にあった時に、霊界での最大の罪とされることを犯してしまっていることを知らずに霊界入りした人が非常に多い。
では、霊界で最大の罪、最大の悪、とされることは何か。。
私は子供の頃から、霊界から、本当に死を覚悟する厳しい神罰を幾度も幾度も受けながら、このことについてもご教授頂いてきた。
霊界での最大の悪というものも徹底的に厳しく学ばされてきた。
そのお陰で、
「霊界と現世では、善悪の基準が違う」
ということも、十代の初めには既に知っていた。
霊界で最大の悪、最大の罪、とされていること、、、大きな罪は、実は2つある。
ひとつは、これは人類のみが犯している罪ではあるが、「神、霊の存在の否定」である。
これは、「神など存在しない!」「霊界などない!」というタイプである。
確かに偽物も多いこの霊の世界で、本物と偽物の区切りは難しいかもしれない。
しかし、、だからといって、神や霊の存在すべてを否定する人間に、神は決して手を差し延べることはなさらない。
こういった種の人は、それまでで論外である。
悪い意味で何も言うことはない。
また、神仏への色々な指令を出された歴史も日本にはあり、それを理由に神社仏閣を全否定する人も時折見掛けるが、真の神仏はそんな人間の勝手に振り回されることは一切無い。
私もこのブログでも実名を挙げてご紹介したりしたこともあるが、高い神が鎮座する神社は、然程多くはないものの、それなりに今の世にも実在している。
もうひとつの霊界での最大の罪は、「傲慢な心」である。
人をバカにしたり、見下したり、偉そうな態度を取ったり、などといった心である。
それだけではない、「頑固」「偏屈」「強烈な反発」「嫉妬」「攻撃的な心」「恨み」「貪欲」「理屈っぽさ」・・・まだまだ色々とある。
しかし、その中でも「傲慢」があると、これはすべての上界から強烈に拒絶される。
「傲慢」は、霊界では、絶対に絶対に絶対に許されない、一番の罪悪なのである。
これは、言葉遣いなどの表面の部分の話ではなく、その人の真の精神の部分の話である。
どんなに表向きを取り繕ってそれを隠そうとしても、霊界では、そういった誤魔化しは絶対に効かない。
霊界で問われるその人の真の精神の部分は、、実は人間界にある時から、霊界からは丸裸に見られているのである。
「傲慢な心」があると、上界からは強烈に跳ね返される。
逆に、地獄界からはもの凄い勢いで吸い込まれていく。
どれだけ普段から神社仏閣へ参拝を欠かさない人であっても、これに例外はない。
「傲慢」が最大の罪となること、、、これは霊界の絶対の真理であり、人間界の数字では何千億年も前に万物を創造された神が、霊界を造ったその時から、その礎とされた霊界での絶対の基準なのである。
それを、遥かに浅い歴史しか持たない ”新参者” である人類が、自分たちの都合良いように作り出した善悪の基準を霊界に当てはめようとすることなど、あまりにも愚かしいことである。
この霊界の真理を知っているだけでも、「傲慢」がある霊能者は、「偽物」または「地獄界とつながっている霊能者」、とすぐに判断はつくものである。
意外なことに思われるかも知れないが、霊界入り後、地獄へ落ちている霊の中には、生前、教派を問わず宗教家であったり、非常に高い位を持った僧侶であったり、そういった人が結構いたりする。
ある、霊界で落ちている僧侶を霊視してみると、、生前、僧籍に身を置き非常に高い位を持ちながらも、実は霊界での真の様子を知ることもなく、多くの弟子や民衆や信者に崇められ、かしずかれている内に、知らず知らずに傲慢になってしまっていたようである。
そして、時が来て死を迎え、魂だけの存在となり霊界入りした途端、すべての神々から強烈な拒絶と逆噴射を喰らい、もの凄い勢いで地獄へ落ちて行っているのである。
この僧侶自身が人間界で説いていた宗教も、毎日あげていたお経も、命がけで長年修行して来た難行苦行も、実際の霊界では何の役にも立たなかったこと、、、そして、今まで説法として民衆に説いてきた霊界は、まったく真の様相ではなかったことも、実際に霊界入りして初めて知ったようである。
地獄は、現世では決して味わうことの出来ない、想像を絶する苦しさ辛さ恐怖が永遠と続く世界である。
そして、落ちている地獄霊によっては、時折人間界に舞い戻って来ては、地鳴りのような唸り声とともに、あろうことか、かつての自分の信者だった人に猛烈にタックルするように取り憑き、一気にその信者の命を奪い、地獄界へ道連れに引きずっていくことも実際によく起きてきている。
しかし、、、こういった悪霊に急に取り憑かれた側は堪らない。
取り憑かれた途端、急な苦しみ、激痛、今まで経験したことのないような恐怖に襲われ、急激な苦しみ・痛みに喘ぎながら、かなりの確率で死に至る。
日本でも古来からある「ぽっくり病」などもそのひとつである。
運良く命は取り留めたとしても、十日後に意識が戻ったら、半身不随だった、完全に失明していた、今まで生きてきた数十年のすべての記憶が消えていた、以降一生涯を精神障害者で過ごすこととなった、、、などと「急な憑依」は非常に危険なのである。
(ちなみに、金縛りもこれに似た、霊の急な憑依に因ることがほとんどであり、ただ、その悪霊にその時人の命を奪うまでの力がなかっただけの話である)
そういった危険なことをしでかす悪霊は、かつての信者だけではなく、その信者の家族や子孫、はたまた波長が合う他人を見つけては手当たり次第に憑依し、その人の命を奪い続ける。
そうして、何百年もの間、何十人、何百人、何千人と、人間の命を奪い続けた殺人鬼と成り果ててしまう霊も実際にいる。
霊界では殺人鬼と成り果てたこの僧侶も、人間界にありし時は、「仏への道」を説いていた筈である。
人間界では立派な「善行」をしていた筈である。
しかし、真の霊界の姿を知ることもなく、霊界で最大の罪を犯したままこの世を去ったため、霊界入り後は 「地獄への道」 を ”説く” のではなく ”実行” してしまっているのである。
これは事実である。
恐いことを書いているように見えるかもしれないが、私は決して、仏道を否定しているのではない。
逆に、仏の道を信じて、霊界で救われている霊もそれなりに居ることも、また事実である。
そういった上界へ昇った霊たちを、さらに深く、人間界にありし時の様子を霊視してみると、全員に共通していることがある。
神道系ではあるが、「お天道様が見ている」という言葉がある。
仏の道を信じて霊界入り後に救われている霊は、人間界にありし時、
「お天道様が見ている」「仏様が見ている」
との想いを常に持ち、行動だけでなく、表に出ない自己の想念、真心もの管理も常に怠らなかった人である。
例えば、ある人からイヤなことをされた。
それに対し、つい、激しい憎悪の念を持ってしまった。
しかし、 「こういった憎悪の念を持つことは人として良くないこと、お天道様、仏様はみている」
と想いを切り替え、そういった憎悪の念を今後持たないよう、自身の真心からを変えていく努力の生活を、日常で行っていた人である。
人をバカにしている、見下している傲慢な人を目にしては、
「お天道様、仏様は見ている。 あのような醜い振る舞いは、私は絶対にしないように注意しよう」
と、日々自身の真心の部分の反省・陶冶をしていた人である。
本来なら言わなくてはならなかった厳しい言葉を、相手が強面だったということで、ついそれを言うこと無く逃げてしまった。
「お天道様、仏様は見ている。 このような弱い、逃げる心ではいけない。 悪しきものには敢然と立ち向かわなくてはならない」
と、日々、自分の人間性の弱さをも克服していく努力も惜しまなかった人である。
こうして、霊界入りするその瞬間までの生涯に渡って、生活のあらゆる場面で、行動だけではなく、内面、想念の中の真の部分の管理する手綱を一瞬たりとも緩めなかった人である。
「仏の御心をいただく」
との教えを真心で実行してきた人である。
そして、こうした毎日の自己の想念の反省努力が自己の魂の陶冶となり、結果として、霊界で上界へ上がって行ける一番の近道のようである。
事実、こういった人は、霊界入り後速やかに輝く上界に昇っていく。
たとえ苦労続きで、ついに報われることのなかった生涯であったとしても、、、たとえ人間界では不幸にも夭折した人であったとしても、、、こういった努力を真に実行し続けてきた人は、霊界入り後は何ら恐れることはない。
無数の神々から祝福の光を受けながら上界へと導き入れられている。
私は、これこそが本当の信仰だと思う。
「自分自身が仏・神になる」 という教えを聞いたことがある人も居るのではないだろうか。
色々な解釈をする人も多いが、、これは、上述した 「仏の道で救われている人たち」 が行ってきたように、自身の真心を四六時中管理し、自身がいつも仏の御心、神の御心に叶う真心を持てるよう想念を向上させることではなかろうか。
何かあった時のみならず、常日頃から、「自分の真心、想念のあり方は仏様、神様に叶う心であろうか」 との想念の管理を24時間365日体制で生涯に渡り行うこと、
そして、その結果として、自分自身の真心が、常に仏の御心、神の御心に即するものになるまで磨き上げることではなかろうか。
私はそう思う。
が、、、この教えを 「自分自身が神や仏だと信じ、自分自身に祈ること! 神社参拝などインチキだ!」 と考えて胡座をかいて、傲慢になる人もたまに居るらしいが、それは絶対に違う!
それはあまりにも考えが浅いし、勘違いも甚だしい!!
そんな考えを実行してしまった時点で、その人の魂も精神も完全に成長が止まる!
己の魂や精神の研鑽を日々行うことがまず大前提ではなかろうか。
霊界入り後、上界へ行くも、下界へ墜ちるも、本人の自由である。
地獄へ落ちたければ、「偽物」が普段からそうしているように、霊界では一番の悪である「傲慢」の想いを持ち続け、「神などいるものか!」と神仏信仰を否定し、神仏を参拝している人を見下し、自己の想念の管理は一切せずに悪想念をたれ流し続け、自身の魂に傲慢をしっかりこびりつかせておけば、、、たとえそれを表には出さずとも、黙っていても地獄行きである。
上界の住人となりたければ、たとえ今まで如何に傲慢の権化のような生き方をしてきた人であっても、それを心から反省し、自己の想念の中にある「傲慢」を根元から完全に排除して、上述した仏の道で救われている人のように、今後は24時間365日体制で生涯に渡り自身の想念の管理を行っていけば良いだけである。
それだけで、霊界での進路は大きく方向転換する筈である。
ここで言う「偽物」はそういった努力をしてみたら如何であろうか、と私は偽物を見る度に一度はそう思う。
本来、人間はそういった生き方をするべきなのではないだろうか、と私は思う。
人間は誰しもが、間違いはしてしまうのである。
間違いは素直に心より反省し、正していけば良いのである。
霊界で進む道は「当人の自由」。
これは、万物創世の神が人間にも平等に与えたものである。
そして、如何に高い神といえども、人間に与えられた、その 「自由意志」 に介入することは出来ないことも、霊界での厳しい掟のひとつである。
たとえ、どんなに高い神から尊い道を授けられても、それを甘んじて受けるも、拒否して奈落への道を進むも、当人の自由なのである。
それ故、
「地獄へ行きたい」 という人を無理に引き留めたりすることを、基本的に私はしない。
本人の自由意志なのである。
「それは冷酷」などと言ってくる人もたまに居るが、そういった人間界の 「情」 というものは、霊界では通じない。
悲しくは思うが、放っておく。
ここで言う、偽物もそういった存在のひとつである。
自らの人間性の弱さで、霊界では最大の罪悪となる傲慢に染まり、結果、地獄界の永久の指定席を自分自身で選んだのである。
だから、そういった偽物は、私は相手にしない。
偽物のSNS等の発信自体、見ない。
そして実は、、、叩く必要すらも無いのである。
というのも、私の経験上、こういった偽物に非常に多く見られる特徴が、、ある日プツりと霊やスピリチュアルの世界から身を引いてしまうことなのである。
こちらは何もせずに、黙って待っておけば、向こうが勝手に消えてくれるのである。
放っておけば良いのである。
叩いたりしていたら、その時間も労力もすべて無駄になる。
ただし、、、身を引いたからといって、その偽物の地獄行きも取り消されることはない。
また、身を引くに当たって、一生懸命考えてきたであろう理由をくどくどと述べている人を幾人も見てきたが、、、これは実に見苦しい姿である。
何を言っても言い訳にすら聞こえないし、言えば言うほど醜さがさらに増すばかりである。
しかしこの 「ある日急に霊の世界から身を引いてしまう」 特徴は、、それまでその偽物の信者として付いてきた人たちにとっては、大いに面喰らわされることとなる。
一生を捧げる積もりで毎日勤めていた会社が、何の告知もなく、ある日急に経営者の勝手な都合で会社解散となり、路頭に迷うことになるようなものである。
一度でもこれをされると、すべての信者からの信用は一気に無くなる。
以降、信者が表向きは以前と同様に接してきたとしても、内心ではもう完全に信用されていない。
一度失った信用は、取り戻すことは極めて至難である。
しかし、偽物にとって、そんな信者の心離れなど 「どこ吹く風」 であることもまた大きな特徴のひとつ。
今までと同じように100%自分を信じて付いてきてくれている、と思っている様子である。
元々、このように相手の心や人の痛みも解らない人が多い。
そのせいか、口では 「感謝の気持ちを持つことが大切だ!」 などとご大層な立派な言葉を吐きながらも、他の人が自分に対してほどこしてくれた気遣いに対して、それを受けながらも、無視の返事が普通に出来る神経の持ち主である場合も多い。
そういった無神経さのせいでもあろうが、、、ある日プツりと霊の世界から身を引いてからしばらくして、、またある日いきなりまた霊やスピリチュアルの世界へ戻ってきて、また好き勝手な発言を繰り返し、周囲をかき乱す人も時々見掛ける。
さらにタチが悪い偽物になると、、霊やスピリチュアルの世界の発信をしている他の存在を人前で徹底的に悪く言い、それによって自分が正当であると周囲への印象付けをしようとさえする。
自分で勝手に作り上げた偽善を隠すためなら、躊躇なく他人を踏み台にし蹴落とそうとするなど、、、どう贔屓目に見ても地獄霊の持つ想念ではなかろうか。。
それ以前に、そんなことが出来るなど、、、何と心の貧しい人なのであろうか、と哀れに私には思えてくるのだが、、、どうであろうか。。。
一般的に、「近づきたくない人、近くに居ると疲れてくる人」の類いである。
周囲からも、内心そう思われている筈である。
知らないのは偽物本人だけ、という文字通り「裸の王様」なのである。
そして、自信満々に「私は霊界では救われる!」と信じながらも、それに向けた努力は一切しないのである。
上述した、仏道信者で霊界では救われている 「お天道様は見ている、仏様は見ている」 の話を聞いても
「面倒くさい!」
と一蹴している筈である。
自身での想念の反省や努力は一切実行せず、それでいながらまるで全てが判っている素振りを演じ続ける。
そのままでは霊界では落ちる、など耳に痛い話を聞かされると、
「神様はそんなこと言わない筈!」
と、これまた自分だけの物差しで測ったことを言い出す。
そしてある日、
「私は霊的に、スピリチュアル的に、●●が分かるレベルまで到達した!」
と根も葉もない作り話を言い出し、周囲への自己誇張を始める始末である。
正に、自身の想念の管理は全くせず、悪想念の垂れ流し放題である。
如何なる理由であれ、一度でも、霊やスピリチュアルな世界から身を引いたことのある人は、偽物と見てほぼ間違いはない。
そして私は、こういう類いの人たちを視る度に、本当に毎回毎回、、本当ーーーに毎回毎回、思う。
そこまで大口をたたくならば、、、そこまで分かったような口を利くならば、、、まず、自分自身にとり憑いているその幾体もの悪霊を、自分の力で除霊なり浄霊なりしてみたらどうであろうか。
冒頭の方でも述べたが、こういった類いの人たちは地獄と完全に波長が合いやすく、必ずといって良いほど幾体もの悪霊に憑依されている。
まず、そこにも自身で気付いていないこと自体が大問題である。
原因不明の首肩の凝りや体調不良、ぞくぞくとした寒気、自分の体が自分の体でないような妙な感覚、不自然なほど頻発する事故や災難や怪我、年に一回必ず決まった日に何らかの災難が起きる、不気味な霊現象、・・・など、悪霊に憑依された人に多く現れる現象に悩まされている人もいるのではなかろうか。
ま、、簡単には憑依は解けないだろけど。。。
私は、放っておく。。
そしてさらに、、、自分で勝手に作り上げた霊界の話を始めることも、こういった偽物の特徴でもある。
ちょっと例えてみる。
今もあるのかな、、、私が学生時代 「英語検定試験」(英検)というものがあった。
それぞれの級が設けられた英語の試験である。(懐かしいね~~)
合格するためには、それなりに語彙力、読解力、聞き取り、文法など、総合的な英語力が求められる。
そういったすべてをしっかりと学び、初めて合格出来る。
それを、たとえどれだけローマ字をきれいな字で書けても、それはこの検定で合格する基準にはならない。
しかし、ある人が
「英検に合格したかったら、私についてこい!」
「私についてきた人は合格できる!」
と自信満々に大口をたたいたとする。
しかしその人、、、実は英検を受けたことも、英検についての知識も何一つ持っていないのである。
それどころか、、なんと、、実は単語ひとつも知らないのである。
ただ、ローマ字をきれいな字で書くことだけは出来た。
その人はただ、人の上に立つ優越感に浸りたかったがための大口叩きであった。
結果、その大口に騙されて付いてきた人に教えることも、 「いかにローマ字をきれいな字で書くこと」 しか教えられない。
語彙も、読解も、聞き取りも、文法も、何ひとつ知らないのである。
it も is も you も知らないのである。
しかし当の本人は、そんな状態にも拘わらず、「英検に合格したい!」と素直に付いてきた人に対して
いかに自分がローマ字をきれいに書けるか、をことある毎に自慢し、
そして、「ローマ字がきれいに書ける人は合格出来る」 というひとり勝手な持論を自信満々にとなえ続け、
どう書けばローマ字がきれいに見えるか、ということばかりを、すべて上から目線で伝え続ける。
もちろん、どれだけローマ字がきれいに書けるからといって、それは試験の合否には全く関係ない。
しかし当人は、肩で風を切るように、
「ローマ字をきれいな書くことが合格になる!」
という勝手な基準をさらに強固な想いにし、付いてきた人にそれを教え続けることに全力で突き進む。
そしてある日、そんな状況を見かねた英検の経験者が、
「そんなことしても何も役に立たない」
「そのままでは不合格になる」
とアドバイスした。
すると、途端にプンプン怒り出す。
挙げ句の果てには、そのアドバイスしてくれた英検の経験者のことを
「あの人の言うことは聞くな!」
「あの人の言うことは妄想だ!」
「あの人は英検のことを何も分かっていない! 偽物だ!」
などとあちこちで、まるで見当違いな暴言を吐く始末。
果たして、、、この人が英検に合格出来るであろうか?
そして、素直についてきた信者は合格できるであろうか?
偽物は、これと同じことをしているのである。
霊界について、何ひとつ感知もできなければ、知識もない。
ただ、
私はコロナワクチンを打たなかった!
私はコロナワクチンを打たないように人々に伝えてきた!
私はコロナワクチンを打ってしまい体が不調になった人の手助けをした!
私は○○の奉仕活動をしてきた!
そんな自分のことを
「コロナワクチンを打たなかった私は神から選ばれし者!!!」
「こんな素晴らしい善行をした私は、当然霊界で救われる!!!」
と勘違いしているのである。
そして、そういったことをSNS等で自慢気に語り、自己陶酔に浸り、当人も気付かぬうちに有頂天になり、傲慢になってしまう。
特にコロナワクチンが始まって以降は、こういった勘違いをしている偽物が非常に増えている。
さらには、
私は●●教に入信している。
私は○○経の教えを信じている。
私は年に▼回、★★修行体験に参加している。
私は▲▲という言葉は使わないようにしている。
私は■という字は旧字体を使うようにしている。
など、霊界では全く意味の無さないことばかりを実行する。
上記した英語検定の例で言うと、
「ローマ字をきれいに書く」 ことばかりに終始しているのである。
そして、最も問われる英語の勉強は何一つしていないし、当人も勉強しようとすらしないのである。
しかし、元々霊界から何も感知出来ない人であるため、SNS等での発信するネタはすぐに尽きてくる。
そうなると今度は、霊やスピリチュアルの発信をしている他の存在を人前で徹底的に悪く言うことによって自分が正当であるとの印象づけや自身の存在を示そうとしたり、
「私の魂は、霊的に・スピリチュアル的に●●なことが出来るまでレベルが上がった」 などと根も葉もない作り話をして、自己の誇張をする。
そんな状況を見かねた、霊の世界を感知出来る人から、
「そんなことをしても霊界では何の役にも立たない」
「霊界で一番の悪は「傲慢」である」
と助言される。
すると、途端にプンプン怒り出す。
挙げ句の果てには、その助言者のことを
「あの人の言うことは聞くな!」
「あの人の言うことは妄想だ!」
「あの人は霊界のことを何も分かっていない! 偽物だ!」
とあちこちで、まるで見当違いな暴言を吐く始末。
そして、ある日プツりと霊的な世界から身を引いてしまったりする。
かと思ったら、しばらく時間を置いて、またいきなり復帰したり、、、兎に角、精神が未熟な言動を取る。
自らを律することは全くなく、正に、言いたい放題、やりたい放題、悪想念の垂れ流し放題である。
こんな精神が、、、こんな魂が、、、霊界で上界へ行けるであろうか?
神々から、人間界にありし時にしっかりと成長させ磨き上げた魂と認められるであろうか?
これが若い子ならまだしも、世の中では大人と言われる世代がこのような振る舞いをしたら、どうであろうか?
霊界から人間界をじっとご覧になっている神々が、こういった人間に、霊界入り後どのような道を下されるであろうか?
上記の英語検定の例で言うと、ローマ字をきれいな字で書けるだけで、単語ひとつ知らない状況で英語の試験を受けて、合格するであろうか?
間違いなく、落ちる!!
偽物の辿る道は、これと似たケースをとることが多い。
ほんのつまらない虚栄心から始めてしまったことであろうが、神の世界をその道具にしてしまった冒涜の罪はあまりにも重い。
霊界では、犯した罪は、いくら他で償おうと図っても、それで相殺されることはないのである。
永遠に許されるものではない。
自分で犯した霊界での罪は、自分ひとりで償わなくてはならない。
これも霊界の絶対の掟のひとつであり、これは人間界の如何なる刑罰より、遥かに遥かに厳しい。
しかし、それも偽物当人が自ら選んだ道なのである。
致し方なし、である。
私が今日ここに書いたことは、すべて霊界での事実である。
本物か偽物か、いまいち見分けが付かない場合は、ここで私が書いたことの一部を、軽くその人に言ってみると良いと思う。
たとえば、
「傲慢な人は霊界で必ず落ちる」
ことなどを軽く言ってみて、批判や反発して来ればして来るほど、怒り出せば怒り出すほど、当人自らが、自身が偽物であることを雄弁に物語ってくれているのである。
こういった偽物と、どう接するか。。。
これも接する側の自由である。
が、、、上述した通り、地獄に落ちてかつての自分の信者やその子孫に次々と取り憑いては命を奪い、地獄へ引きずり込む僧侶の例もある。
そういった悪霊も実際に多く存在する。
この手の「偽物」が霊界入り後、いずれ、その僧侶と同じ悪霊への道を辿る可能性は非常に高い。
特に、他を悪く言うことによって自分を正当と印象付けるようなタチの悪いことを頻繁にしていた場合、、そういったマムシのように他へ噛みつく想念は、霊界入りした途端大きく増幅されてしまうため、その偽物が地獄霊となった後も、手当たり次第に人間界で知り合いだった人やその家族や子孫に噛みつくように憑依してくることが高い確率で起きる。
そうなった場合、たとえあなたが除霊が出来て自分ひとりの身は守れる人であっても、類はあなたの手の届かない家族や子孫の命にも及ぶ危険性があるのである。
繰り返すが、そういった人物と、今後どう接していくかは接する側の自由である。
私なら、一切の関わりを絶つ。
では。