
<緊急予告>
皆様のご愛顧、リクエストにお応えしまして
本日水曜日18時、「花見月⑤」一般公開します。
ある種、生の感触と言うか、リアルなシチュエーション、雰囲気をガッツリ味わいたくて、やはり、吹き替え無用の字幕派になるのでしょうか。
その点では戸田奈津子さんお世話になりました。
日本の声優さんも、どんどん海外に出て、外国の真似をするだけでなくエッセンスを掴み取って、柔軟な発声感情表現が出来るようになるともう、その○派というか区別はなくなるのでしょうけど……。
昨年末の漢字は 戰 だそうですが、確かに古今東西、どこかで戦争や紛争が絶え間ないこの地球上です。
その戦争を題材にした文学は「戦争と平和」等ですね。
勿論、映画の世界でも戦争を扱った作品が多く、数え上げれば限がありませんが、邦画でも名作があります。
収穫を迎える時期に、それを狙って襲ってくるのは台風やクマだけではない。
黒澤明監督の映画「七人の侍」では、野盗の群れが刈り入れを終えた弱小の村々を襲う。
そんな野武士どもに対抗すべく村の長老たちが何とかせねばと立ち上がった。
まるで藤沢周平作品の「義民が駆ける」だが、こちらは直訴でなく自主防衛でおらたちの村はおらたちでまもる。だった。
村で用心棒を雇うべく先ず腕の立ちそうな者の選別スカウトから始め、なんとか七人のサムライを揃え、馴れない百姓どもの戦闘訓練から、そして野武士軍団との勝ち目の見えない決戦へと白黒の物語は繰り広げられていく。
それは映画だが、実際に「吾妻鏡」など読むと1232年北条泰時が制定した「御成敗式目」でやっと法の精神の基本、「人の強弱によらない公正な裁判を行うために式目を制定した」とある。
しかし鎌倉時代後の戦国時代や、いや現代までもいじめや、ミサイル威嚇、不安ビジネスなど武力をちらつかせて要求する露助などの無法者は後を絶たないようだ。
政府の外国首脳との折衝も、国民に犠牲を強いる武器購入や円借款で、実際に功を奏すのか。
外圧があったにせよ、稚拙な舵取りで国民に疑問や不平不満を生じさせるようでは、品格ある国家の代表としては、いかがなものかと不安を覚える次第。
ここは、静観の構えで、漁夫の利を得る方向に針路を取って、国家国民の繁栄の礎を築く方が、戦犯の汚名を被るよりましでは無いだろうか❓
巻き込まれて囮や米国の先兵に利用されたりしないという保証は無い。
いや、寧ろ、露助とウクライナや米中対立も大義名分が明確ではない没義道だけに、経済高騰を煽る三文茶番劇にしか見えない。
文化、芸術は人間の特権
そんなきな臭い現実から離れて、こちらはクオリティーの高い吾が読者諸君の皆さん一度はご覧になっているでしょう。
ご存じミレーの≪落穂拾い≫から芸術の豊かさを見出して戴きましょう。
構図といい、筆の繊細重厚なタッチといい、仏プロバンス地方ののどかな雰囲気がキャンバスから漂ってきませんか?
これは1949年以降、政治的混乱のパリから疎開していたジャンF・ミレーが仏バルビゾン村で過ごした平和な風景を描いた作品。
貧困不況対策として心豊かな領主がノブレス・オブリージュで領民に目こぼしして慈悲の精神を描いたサロン出展(1857年)の名作。
しかし治にあって乱を忘れず、乱に遭って治を忘れずというが、平和の尊さを見失った90年後同じフランスのこの台地の向こう、ドーバー海峡に面したダンケルクという海岸で悲惨な戦争があった。
ドイツ軍のフランス侵攻で救援にかけつけ進軍していた英チャーチル首相指揮下のイギリス軍は、敵対するドイツ軍のユンカース急降下爆撃機やメッサーシュミット戦闘機、タイガー戦車等ドイツ機甲師団などの空と陸での進撃に圧され、さらに海中にはUボートという潜水艦が待ち構えるなか、英軍はフランス領の海岸に面したダンケルクから約40万人の将兵を英国本土に撤退させるべく「ダイナモ作戦」という官民合同の救出プロジェクトが施行された。
それは1940年5月24日から2週間弱の間に遂行された救出劇であった。
大英帝国海軍の艦船が間に合わなかったほど独軍の侵攻が速かったのかUボートに制海権を奪われていたのか、民間漁船を総動員しての救出劇。
以下は9月9日封切りの英米仏蘭合作の戦争映画「ダンケルク」をみて感じ思ったことを述べ、次に吾が家の救出実体験を述べる。
予告編で臨場感とか戦場体感とか出ていたのでこの時期ミサイル騒動の世相と照らして考えてみようと思う。
映画「ダンケルク」では冒頭、仏ダンケルク海岸でいきなり緊迫した戦場に立たされ、観客はダンケルクがどこなのか位置も、どっちの方向に逃げればいいのか分からずとまどう。
まるで北朝鮮のミサイル発射であたふたのJアラートのようだった。
ドルビー・サラウンドの重低音がこれまでの視覚、聴覚に加えて館内中空気振動を伴った触覚までをも揺さぶらせてくれる。さらに往年の名機スピットファイヤー(英)やユンカース急降下爆撃機(独)、メッサーシュミット(独)が飛び交う。
なかでもスピットファイヤーのコクピットがふんだんに再現され臨場感を煽る。
これは安直にCGを多用せず手づくりの合作による各国の叡智を集約した重量感あるリアリティーが35㎜フィルム時代を彷彿とさせ、ここにも映画づくりの伝統が脈々と息づいているのを感じ、国際映画人の意気込み、頼もしさを感じた。
たとえば、映画のシーンで挙げるとダンケルク砂浜での爆撃シーンがあるが、あたかも映画館がいきなり戦場に変わったような効果音だけで無駄なセリフを割愛し、おおっと、いきなり敵戦闘機が攻撃してくる。
ウィーンと羽音のようなエンジン音をさせ上空からこちらをめがけて徐々に敵機が接近してくる。
さて、どうする? といった具合だ。
机や椅子の下に潜り込んでも爆弾ならぬミサイルが落ちてきたら無駄だろう。
そういう時はおまじないをして運を天に任せるよりなかろう。
さらに恐怖体験の1シーンとして、本隊とはぐれた一個分隊が浜辺で座礁した無人の漁船を見つける。
それで満潮になったら船が浮かび沖に逃れられると読んで、その漁船に身を隠す英兵士たち。
やがて潮が満ちるのを中でじっと待つ。するとそこへ、いきなり銃弾が外から撃ち込まれ、漁船の中は瞬時戦慄に包まれる。
銃弾が的当てのようにきっちりまとまって貫通している船体を中から見やり、外から敵が射撃訓練でこの船を狙ってると分かり恐怖が奔った。
迂闊に外に出れば絶好の標的になる。
ここのところは照明が素晴らしい仕事をしていて、穴が空いたところから明るい光明が同方向から差しこんで切羽詰った明暗を対照的に表現している。
またS/E(音響効果)さんもいい仕事をしている。外から船内に銃弾が撃ち込まれるのだが、音だけで弾頭部分がチューン、カラカラ・・・・・・船内を駆け巡る跳弾のたびに熱さや匂いまで伝わってくる、のけぞるような恐怖体験を与えてくれる。
この辺は独映画「Uボート」やその前に遡れば、「頭上の敵機」やもっと遡れば、モンタージュ理論のセルゲイ・エイゼンシュタイン監督「戦艦ポチョムキン」などの積み重ね映画手法を踏襲している感さえ蘇らせてくれる。
ただ欲を言えば、「ハノーバー・ストリート哀愁の街かど」やマイケルチミノ監督の「ディア・ハンター」のような恋愛シーンもあって演技演出でイメージも観客も膨らむようなつくりに出来なかったのかなとやや不満は残る。
この映画「ダンケルク」を観た数日後、こんな実体験をした。
ウチのペット、金魚軍団「レッドエンジェルす」のメンバー、カマトト(和金)
が水槽の水を入れ換え中に何を思ったか水槽から飛び出してキッチン流し台にピョンとジャンプ。
水も張ってないそこでパシャパシャ飛び跳ねている。
慌てて手を差し出すも、ツルッと滑ってそのまま排水口へ落ちていく。
とうとうヌルヌルした下水口に挟まった。口をパクパクあけて「たすけてー」って必死に叫んでいる。
頭だけ出しているカマトトをなんとか引っ張り上げるべく指でつまもうとするが、つるっと滑って掴めない。
カマトトは口パクでしきりに叫んでいる。
一瞬、もうダメかなと覚悟した。ちょうど映画「ダンケルク」でラストシーン司令官が桟橋に残って敵機が襲いかかって運を天に任せるといった
「主よ、神よ」と目を閉じて祈った心境で無念を感じた瞬間、閃いた。
そうだ今このこを助けないと一生悔やむだろうと観念しつつも刻々時間が迫る。瞬間的に忙しく策を駆け巡らせる。
そして身近に在ったハブラシで下水口のカマトトの肩口にあてて少しずつ引き上げた。
そうして汚物だらけになったカマトトの全身が見えた時、すぐさま生死を確かめもせず水槽にチャポンと入れた。
するとどうだ、カマトトは何事も無かったかのように平気な顔をしてスイスイ泳いでいるではないか。
こいつ大したカマトトだな。とこちらが驚いた。
だが、うろこがはがれても気にせず和金のタフな生命力を知った。そして命の大切さも実感した。
映画「ダンケルク」でもチッチッチッチ・・・・・・と時計の音がずーと流れていたが或る意味生命は時間との駆け引きなのかも知れない。映画も人が耐えられる2時間余の尺の中にいかに効果的に詰められるか。
起承転結、喜怒哀楽、人生を独自な表現で後世に残る素晴らしい作品づくりは映画人、いや万民の夢だな。
北朝鮮もあの統率力というか求心力をミサイルなどに向けないで映画という文化的な方向に舵をきれば万国万々歳なんだがな。
ひとつ北朝鮮と米・韓国に魔法をかけてやるか。
「己の欲せざる所は、人に施す事なかれ (自分のして欲しくないことは他の人にもしてはいけない)
論語~孔子」
これについて書かれている書籍があるので紹介する。
孔子は弟子の一人から「一つの言葉に表せるもので、生涯ずっと行うべきことは何でしょう」と訊かれて、子曰く、それは恕(思いやり)だと答えました。
その恕をわかりやすくおまじないにしたのが上記の言葉です。自分がして欲しくないこと。
たとえば、いじめたり意地悪、悪口を言ったり、仲間外れにしないで欲しい、などはどこの国民でも人間なら誰でもが思うことです。
自分がして欲しくないことを他人にもしないことが、恕つまり相手を思いやるということです。
逆に自分がして欲しいこと。
たとえば、あいさつをすることから始まる意思の疎通や困っていたら助け合うなど周りの人の気持ちを考えてどうしてもらいたいのか考え合うことだと「こころを育てる魔法の言葉 2やさしくなれる言葉」で訓えています。
~Fin~





