20世紀へタイムスリップ ② | 地球の日記☆マーク♪のblog☆

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この地球は今大きく変わろうとしている。自国主義からコロナ禍を経て、調和・融和へとイノベーション(変革)し、人生100年時代へ向けて脱炭素の環境優先へとベクトル(地球的エネルギー動向)が動いた。
常に夢を持って波に乗ろう!

 今般の外出自粛中、及び花粉飛散の現在、STAY HOME ながら興味が湧く史料が見つかり、これで当分退屈しなくて済むとほくそ笑んでいるところなのである。

表題の「20世紀へタイムスリップ」というのは、今は21世紀だが先の20世紀に流行した事象の郵便局発行の切手資料を基に当時の人々の流行の背景などを考察して、「今に活きる」カギを探り考えてみたい。

温故知新という言葉を今あらためて噛みしめる。

そして、今回の新型コロナの発生した原因など探索できなくとも、人類の発展の陰に何かしら置き去りにされてきた手がかりのようなものを、今回ワクチン接種が進む過程にあって、沈着冷静に待ちながら、ほうー、20世紀にはこういうこともあったのかという歴史の中に更なる知的好奇心を育むというのも有益な事と思う。

 

 さてそれでは、今日は第2集を開いてみる。

「明治から大正へ」と副題があり、

 


こういう切手が並んでいる。

この切手をパッと見てこれは何の事案だかお分かりだろうか?

郵便局関係の方はご存知の方が多いのではないかと思われるが、……なんせ、時代が……。

正直、初見で分かる人の方が今は少ない時代ではないだろうか。

ゆえに、これには解説文が付随されているのである。

 

 

これによると、①は文部省唱歌始まる。尋常小学唱歌「春が来た」など(明治44年発行)。

②は白瀬隊南極探検。1910(明治43)年11月28日、白瀬中尉を隊長とする27名の南極探検隊は東京の芝浦から「開南丸」で出港し、南極へ向かった。

1911(明治44)年2月に南極圏に入ったが、氷山に阻まれ一旦撤退。11月19日再び南極圏を目指した。そうして翌1912(明治45)年1月28日、南緯80度5分へ達し、一帯を大和雪原と命名した。

③④は初の国産飛行機、飛行船。

 

⑤は野口英世博士の活躍と愛用の顕微鏡

1876(明治9)年福島県猪苗代に生まれた野口英世は、ロックフェラー医学研究所に入所し研究を続け、ノーベル賞候補となった。

1913(大正2)年には梅毒患者の脳内にスピロヘータの存在を証明。

1919(大正8)年には黄熱病原体を発表。

1928(昭和3)年5月、黄熱病研究のため訪れていた西アフリカ、アクラで逝去した。そして、現在の千円札としても馴染みが深い。

⑥ニホンオオカミ絶滅。


⑦ニッポン初めて五輪に参加。

1912(明治45年)スウェーデン・ストックホルム大会の入場行進と五輪マーク。(旗手は陸上の三島弥彦選手、プラカードは陸上の金栗四三選手、中央は嘉納治五郎選手団長。ーと、あるが、スマホで拡大して見てもよく見えないのが正直なところ。)


⑧宝塚歌劇隊誕生。

1913(大正2)年7月、箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄宝塚本線)の終点である宝塚に、16名の女子生徒からなる「宝塚唱歌隊」が結成された。12月には4名を加えて「宝塚少女歌劇養成会」と改称。


⑨「カチューシャの唄」松井須磨子・島村抱月。


⑩ミルクキャラメル発売

ミルクキャラメル初期のチラシに描かれたイラスト。(大正3年)

1913(大正2)年、ミルクキャラメルが発売された。

当時はバラ売りで1粒5厘。(ごりんって?)大人向けのタバコの代用品として作られ、一粒ずつワックスペーパーに包まれた菓子が珍しく、また衛生的であるとして、好調な売れ行きを続けた。

キャラメルは約300年前、ポルトガル人によって日本に伝えられたといわれる。

 

……とある。

そこで⑩のミルクキャラメルなんだが、あらためて現在市販の同品と見比べてみてみる。

 


そんなに古いのか?このキャラメルは?

たしかに1914(大正3)年のチラシにあるキャラメル箱の図案のようにも見えるのである。

「滋養豊富」「風味絶佳(ふうみぜっか)」のキャッチがなんとなくそれらしい。

 

それなら一粒舌の上に載せまして、腹内へ納めますると……

 いや、どうも言えぬは、胃、心、肺、肝が健やかになって、

   薫風のんどより来たれり。  ……って、それは、演劇入門カツゼツ用「外郎売」の口上だよ。


ではお口直しに、


一粒噛めば大正ロマンの味がひろがる。

 

        (吟)