ブログネタ:日本の春のいいところ
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この季節、今も昔も、こころウキウキ、でかけたくなる。
多分かの徳川家康公もそうして鷹狩りに出かけたくなったのだろう。
そうして、出かけた先で、天ぷらを食べた。
珍しかったのかつい、たくさん食べ過ぎた。
そして還らぬ人なった。 と。
江戸幕府の開祖・徳川家康の最期についてそう、上記のように先日BSで語られていたが、それについては多々疑問のあるところである。
それによると「家康公は鷹狩りに行った。そして当地で天ぷらを食べたそうな。天ぷらが珍しくてついたくさん食べ過ぎてそれが元で死に至った」。という事のようだった。
それについて私の疑問点を述べていきたい。
①先ず時の不一致。
家康死没の公式見解は1616年初夏。
「てんぷら」に関する記述がみられるのは1669年以降なので、今日いわれている、仮に「天ぷ
ら」を食したとすれば、ポルトガル伝来の長崎卓袱料理の類ではないかと思われる。
②次に材料の観点から検証する。
天ぷら料理は一般的にタネ(魚介、野菜等の食材)と衣(卵と小麦粉)と揚げ油(当時はごま油か菜種油か)と類推できるが、当時それらの材料が存在したのか。
家康が食したのは鯛の天ぷらということだが、とすれば、江戸時代にメリケン粉たる小麦粉があったのかどうか。
これについては、当時讃岐うどんを讃した記述があるので麦類の入手は可能かとも思われる。
ただ油についての具体的な供述があいまいで、榧(かや)の実から搾った貴重な油という説もあるが、臭い匂いがするともある。
その臭さが却って食欲増進したとも考えられなくもないが、それだとお付のお毒見役が何人も必要になってくる。
③鷹狩りに出かけた先で、今のようにひょいと蕎麦屋があって気軽に天ぷらを揚げて食べれるものかどうか。
準備が大変であるし、そんなに貪るように食べるには高齢も考えて御殿医がなにかしら注意を促すはずである。
④以上の事案からは、どうも一貫性が感じられず、どうしても家康の死を天ぷらを食したことにしたいということであるなら、
(これは誰も語っていないが、私は独自の推理でこう読む)
一般に知られている「食い合わせ」の触媒をここで用いるしかなく、天ぷらに-------
氷水かスイカを誤ってか故意なのか、腹の中へおさめた。
当時としては高齢であった75歳の家康の胃は旺盛な食欲の負担に耐えかねて消化に支障をきたし、いわゆる食中毒となり寿命を縮めた。
と考えられる。のが与えられた状況証拠からの自然な論理過程ではなかろうか。