安徳天皇陵② | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

下関まで戻って来ました。



赤間神宮


みんなが河豚を食べにくる唐戸市場の近くです。



社殿は建礼門院が二位尼と安徳帝がたどり着いた夢を見たという竜宮城を模して作られたそうですが、肝心の門はどちらの写真にも写ってませんねえ(爆)。



安徳天皇阿彌陀寺陵は宮内庁により管理された陵墓です。



安徳天皇の御遺体は、この地に埋葬され、その後勅命により、その上に御影堂が建立され、尼僧が三代に渡りお守りいたしました。


その後、阿彌陀寺に発展して浄土宗を経て真言宗の寺院となりましたが、廃仏毀釈で廃寺。(どこかでも石仏爆破してしまった方々がおりましたね。)


御影堂は天皇社となり、安徳天皇を主祭神として祀る赤間宮、そこから赤間神宮へと移行。



手水と安徳天皇神徳記。



背後にあるのは、日露戦争時代の砲弾らしい。



平家一門之墓。



この奥がそうなんだけど、そこからは安徳天皇の陵墓も確認できる。円形で少し盛り土してある形状となっている。



平家一門之墓の手前には耳なし芳一の像が祀られた芳一堂まであります。



本殿のとなりには日本西門鎮守八幡宮。平安時代前期、行教和尚が宇佐神宮から岩清水八幡宮へと御分霊を勧進する途中で、この地に日本の西の守りとして建立したのだとか。



そこからさらに右の裏手に回ると



朽ちかけた和船があって、壇ノ浦漁釣船由来記という注釈があった。壇ノ浦で戦いがあって、敗れた平氏が漁師となり身を隠し再起を図ったのが、壇ノ浦漁師の始まりだと書いてある。



大連神社は熱田神宮に関係しているけれど、安徳天皇には無関係です。



紅石稲荷神社



安徳天皇が平家一門と西に向かうにあたって、御所の鎮護である伏見稲荷を勧請して船に乗ってこの地に到達し、紅石山の景勝地であったここに創建されたのだそうだ。昭和59年に再建。赤間神宮などの建物が比較的に新しいのは、第二次世界大戦でみんな焼けてしまったからなのです。


ね。