名護屋城 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

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朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

名護屋城って唐津にあったんだ!ということで、名護屋城跡に来た。



名護屋城本丸跡の石碑



なかなかでかいのでちょっとびびってパノラマで撮影してみた。これ回るのたいへんかもって思ったのだけど、これでは伝わらないだろうなー。



ということで、HPから拝借。


一応、大手口ー三ノ丸ー本丸ー水手口ー二ノ丸ー弾正丸ー搦手口と歩いた。



ここは三ノ丸跡



東出丸と三ノ丸の間からの景色だけど、重きを置いているのは、どの方向に誰の陣があったのか。



左側には呼子大橋。



そこから本丸大手門を登って行くと先ほどの本丸跡の石碑が建っている、だだっ広い平地に出る。



天守台跡は、その本丸の海側。



ここにも陣を書き入れた案内板がある。先ほどの呼子大橋は右側になる。



天守台の礎石



多聞櫓跡は石で枠が造られていて、建物の形を示している。



水手口への道はけっこう急だった。こんな坂を登り降りするのは武士達も嫌じゃなかったのかなあ(爆)。



石垣は野面積み。つまり近江坂本の穴太衆を秀吉はここまで連れて来たってことだ。



二の丸跡は広場という感じで、ここからの眺望はない。右の少し高いところが遊撃丸跡。



弾正丸跡。こちらにも陣を示す陶板。つまり、360度全方向に名だたる戦国武将が陣を構えて、その真ん中に名護屋城があったことになる。


で、今はといえば右正面には原発がある。



戦国武将が囲んでいたことを、もっと大雑把に示すボード。


前日は山ン寺遺跡に岳神社でけっこう足を使っていたので、この名護屋城はかなりきつかった。


ね。