雨のなか、宇治に行った | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

翌日は雨だったが宇治に向かった。



宇治神社


祭神は菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)で、応仁天皇の皇子で皇嗣(皇太子)。兄に仁徳天皇がいたが、古来の慣例で、歳の若い方を後継にすることで、活躍できる期間が長くなり繁栄し易いということだそう。しかし菟道稚郎子は百済より渡来した師に師事しており、長兄が跡を継ぐべきと考えていた。応仁天皇の死後、仁徳天皇が跡を継ぐようにと自らは皇位につかなかったので、この譲り合いは3年の間、続いた。その間に菟道稚郎子は菟道(宇治)に移っていたが、最期は自害することで、仁徳天皇に皇位を譲ったのであった。


菟道稚郎子は古事記、日本書紀に多く名前が出てきているのだが、この話は古事記にはなく日本書紀にのみ記述があるので、真偽はわからない。


菟道稚郎子は文教の祖でもあり、宇治神社は学業成就の神様とされている。


世界遺産の宇治上神社とは対をなす神社であり、また宇治の氏神はこの宇治神社である。



宇治上神社


世界遺産なので、宇治神社より参拝者はやや増える。祭神は菟道稚郎子、応神天皇、仁徳天皇。



拝殿。一般の昇殿は許されていない。



拝殿の裏に回ると本殿がある。



末社の香椎宮(右)と住吉社



摂社の春日大社



桐原水


かつて宇治には優れた茶のとれる名園、宇治七茗園が足利三代将軍、義満により作られ、そのそれぞれに名水があったが、現在唯一残っているのが、この桐原水である。


ここからは観光客はほとんどいない場所を行くことになるが、



2度目の恵信院。真言宗で空海が開山し、花の寺と呼ばれる恵信院は、もともとは龍泉寺という寺院であったが、恵信僧都源信が再興した。



本堂。ご本尊は十一面観音。



6月なので、庭には紫陽花が咲いていた。









参拝者は弁慶のあとに1人来ただけで、ひっそりとしている。


恵信僧都が恵信院を再興したのが1005年のこと。佐々木蔵之介の藤原宣孝が亡くなるのが1001年で、その後、源氏物語が執筆されたということであるから、宇治十帖で宇治川に入水した浮舟を助けた横川の僧都は、比叡山横川で修行した恵信僧都がモデルというのはほぼ確かなことだと思う。


ね。