妙心寺 退蔵院 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

 位置関係をいまひとつ把握していないまま今宮神社を裏口から出て路地を抜けていくと、左側に立派な白い土塀が見えた。
 
 
 
臨済宗妙心寺派大本山 妙心寺
 
なぜだか禅寺には足が遠く、これまで京都に来た中で拝観料を払って拝観したのは(金閣寺、銀閣寺は別として、)嵯峨野の天龍寺の庭園だけである。毎回その中を通り抜けるだけで終わってしまう建仁寺はその最たるものだろうか。東山駅あたりはよくうろうろするのに、もうちょっと頑張って南禅寺までは行こうと思ったことはないし、わずかな時間で泉涌寺に行こうと決めた時に、それでは東福寺にどうするんだとも思わなかった。避けているわけではないのだが、たまたまと言うには無理があることのように思えるが、そうなのだから仕方がない。
 
たしかに大徳寺はちょっと行きにくいなあとは思っているけれど、別に禅寺を避けているつもりはないし、瞑想とかはむしろ興味があるジャンルなので、どこに行こうかと考えた時にかならず上位に名を連ねるのも嘘ではない。
 

 

 

妙心寺は日本最大の禅寺で、境内には多くの塔頭があるが、それらがすべて一般に開放されているわけではない。山門には平成11年6月から一般車両の通行を禁止すると書いてあるが、それまでは一般車両が通行していたということなのだろうか。ちょうど女子高生が自転車に乗ったままで通り抜けようとしていたが、それは特別なことではないようで、普通に近所のおばちゃんも自転車に乗って通り抜けていた。

 

 

 

 妙心寺塔頭 退蔵院

 

妙心寺の40にものぼる塔頭の中でも屈指の名刹で、足利義満の弾圧により妙心寺が廃絶されて竜雲寺となっていた1404年の建立である。特にその庭園は素晴らしいと聞いていたので真っ先に向かった。

 

 

 

庭園に入って中央に垂れ桜があるが、左側を向くと白い砂を用いた陽の庭と呼ばれる石庭がある。

 

 

 

振り返ると陰の庭があり、こちらは黒い砂の石庭となっている。黒い砂と聞いても公園の砂場を想像してしまって美的にどうなのかなと思っていたが、濃淡のコントラストに力強さが感じられ、どちらかというと陰の庭のほうが好みだった。

 

 

 

順路にそって進むと左側に池が広がるが、売店の手前の右側に水琴窟があり、その水滴の音は竹筒に耳を当てるまでもなく、心地よく聞こえてくる。

 

 

 

売店と茶室を通り越えた先から眺める余香苑。左に見える東屋は使用禁止でこちら側に座って眺められる席がある。

 

 

 

せっかくなので茶室でお茶を頂いた。運んで来た売店のお姉さんが、このひょうたんと鰻の姿があしらわれた和菓子について説明してくれたが、この和菓子は老松との共同開発であり、名前を「是什麼(これなんぞ)」と云う。その由来は季節により餡が変わるので、何が餡なのだろうかと考えてもらう為にそう名付けられたのだそうである。

 

そう言われると餡はなんだろうと尚更考えてしまうが、マーマレードのような柑橘類の味わいがあった。金柑かな。

 

 

 

和菓子にひょうたんと鯰があしらわれているのは、退蔵院のもう一つの目玉とされる瓢鮎図による。この水墨画は、如拙が足利義持の命により描いたもので国宝である。もちろんこの画像のものは模写なのだが、方丈にこのように展示されている。

 

瓢箪で鰻を押さえるという禅の公案を描いたものである。禅の公案とは、師匠から弟子に語り継がれる悟りへのきっかけを与えるヒントの問答集のようなものらしく、禅独特のものらしい。

 

 

 

方丈の奥にはもう一つの庭園である狩野元信作 元信の庭がある。もちろん狩野元信は画家なのだが、構図ということでは相通ずる物があるのだろうか。

 

 


御朱印は庭園の名前である余香苑だった。ちょっとストレートすぎるかな。
 
ね。