大原〜4 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。




里の歌声を聴きながら、大原の里の道を歩いております。こちらに降りたら念仏寺に行くのが大変だということを、この後で気がついてしまいました。

でも、また来れば良いかという気分になりました(爆)。

三千院と寂光院はバス停を挟んで反対側にある。その距離は徒歩30分だろうか。



寂光院

天台宗の尼寺で、建立は聖徳太子(注、ここから余談。現在の教科書では厩戸王(聖徳太子)と表示されているらしいが、我々の頃は聖徳太子(厩戸皇子)でしたよね、同年代諸氏!)。

その理由は、研究が進んだ結果、聖徳太子は実在した人物ではないが、厩戸王は実在した人物だからだといいます。あれだけの大改革を1人の人間がやるのは不可能だとかいろいろ理由があって、後の時代に政治的な目的で作り上げられたのが聖徳太子だというのが、その理由らしいです。

さらに余談ですが、最初の遣隋使も小野妹子ではないのだとか。日本の記録は607年の遣隋使が最初の遣隋使ですが、中国には600年にやってきた遣隋使の詳細な記録が残っているのだそうです。

歴史って為政者の都合の良いように書き換えられるのが常のようですもんね。明治維新ですら、そうだっていうのだから、全てを鵜呑みにするのは危険ですね。

以上、余談のコーナーでした。

ただし、その建立よりも建礼門院徳子の寺としての方が有名である。

山門をくぐり右手の受付で拝観料を払い御朱印帳を預ける。



本堂は淀君再興だったが、平成12年放火により焼失。5年後に再興された。

旧本尊 木造地蔵菩薩立像は収蔵庫に保管されている。内部に収蔵されていた3000体を超える地蔵菩薩の小像は無事であった。

新本尊は旧本尊を忠実に再現したもの。建礼門院と阿波内侍の木造も安置されている。



千年の姫小松

平家物語の中に御白河法皇が大原に行幸されて建礼門院を訪ねる場面があり、そこで
「中嶋の松にかかれる藤なみの」と歌われた松。もともと老木で危うかったところに本堂の放火でダメージを受け、倒壊を危惧されたことから伐採され、現在はその根のみが残っている。



建礼門院徳子の庵があった場所。



普段は立ち入り禁止の茶室。



御朱印を受け取り山門を出て、寂光院手前右手の狭い石段を登っていくと建礼門院の墓陵がある。



御朱印は地蔵尊である。

ね。