京都 島原 夏の特別公開 | 朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶のささやかな交湯録

朝寝坊弁慶の由来は、朝寝坊して昼過ぎからのこのこと温泉に出かけていく習性に由来しております。

弁慶はなにかといえば、語呂合わせみたいなものです。

興味の幅がありすぎて、まとまりがありません。最近は京都に住んでいます。気持ち的にはです。

シリーズ4回目、今回は日帰りで島原でございます。



大門を潜ると、花街でございます。実は丹波口の駅から歩いてくると中から来ることになるのですが。右手前には



石碑があり、島原の説明と和歌が刻まれておりまする。

島原7つの文芸碑のその1であります。



第1の目的地は、京の夏の旅、特別公開中の置屋兼お茶屋、輪違屋さんです。



輪違屋さんは現在も4人の太夫が在籍しており、営業をしております。(一見さんお断りですので、簡単にはお座敷遊びは出来ません。)

太夫とは芸妓の最高位を指しております。



1階は自由に撮影できますが、2階は禁止されています。



入口入って正面。左に向くと、ひとつ前の画像の、輪違いの暖簾と階段です。



主たる座敷の外側に見えるお庭。ここの右側がその部屋で、縁側には柱がありません。テコの原理で軒下を支えているのですが、お庭をすっきりと見せる工夫のようです。



お部屋には新選組 近藤勇の書を屏風にした物があります。



その昔、太夫が馴染み客に送った恋文だそうです。



こちらも同様。



何代目かわからないけど吉野太夫の書いた書の掛軸。



反対側の庭。右の灯篭は「キリシタン灯篭」といいます。



続いて歌舞練場跡の文芸碑その2に来ましたが、名残はありません。



こちらは「新選組刀傷の角屋」、角屋もてなしの文化美術館です。



門を潜って建物の入口に向かって、ここから右を向くと



新選組の刀傷があります。

戦った刀傷ではなくて、あまりにも金使いが過ぎたので、京伝統のいわゆるつけ払いをある時、急に禁止して現金払いにしたようなのですが、それで暴れて付けた傷という、けっこう情け無い傷であります。



松の間

芹沢鴨はこの部屋で大宴会を仕組まれて、帰ってから暗殺されました。

花街では、どんなに酔っ払っていても、泊まることは許されていなかったそうです。

さて、建物は撮ってもいいけど、陳列してあるものは撮影禁止です。と、言われても、どこから良くてどこからダメなのかよくわからないですよね。



松の間の名前の由来、臥龍松。

奥に茶室が見えますが、角屋は揚屋さん。揚屋とは、料理を作って提供をするとか、茶室があるとかいくつかクリアするのには条件があるようです。

ちなみに茶屋は仕出を取り寄せて、料理はしません。



こちらも宴会をする部屋。格子戸と簾で外からは中は見えないけど、中からは外が見える仕組み。

この広さで柱がないので、現在の基準からするとかなり危ないようですが、2階にも宴会をする部屋があります。どうやら特別公開期間は逆に上がることが出来ないらしい。

実は揚屋という名前は、2階にメインの宴会場があって、そこにお客を揚げるところから来ているようです。



左の石は富士山に見立てているそうな。右奥、灯篭の背後の井戸は今でいうオブジェで、滑車は陶器で出来ていて本物の井戸ではないんだそうな。



料理をするためにいくつもの竃が並んでいる。



右が帳場。



角屋は長州の久坂玄瑞が密議を重ねた場所でもある。



東鴻臚館跡の石碑と文芸碑その3。



島原住吉神社と



文芸碑その4と写真を撮る人。



その隣には島原西大門がここにあったことを示す、文芸碑その5。



島原住吉神社の境内に併せて祀られている幸天満宮。



幸天満宮の文芸碑その6。



背後に神木の大銀杏。もともとはここは島原住吉神社の境内だったそうだけど、実は明治維新の廃仏毀釈にあたり、社格株を持っていなかった島原住吉神社は廃社されてしまったそうです。その後明治36年に再興されたのですが、この大銀杏は境内から外れてしまいました。

今は根元には弁財天が祀られています。



大銀杏と文芸碑7。

誰か弁慶を、一見さんじゃなくしてください(笑)。

ね。