父の戦争体験 | しちふくのひとやすみ

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獣医師&獣医鍼灸師&レイキヒーラーである
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私の父(故人)は赤紙が届き

戦場に送られました。


父が送られた先は南太平洋のラバウル


激戦地のひとつとして知られています

あの頃はどこも激戦地だったことでしょう



漫画家の水木しげるさんが

片腕を失ったのもラバウルでした






父の部隊は敵兵を迎え撃つため

塹壕に隠れていたそうです


そこにアメリカ軍の飛行機が

塹壕に沿って一斉射撃し、

塹壕にいた兵士は全滅したそうです


父は通信兵だったため

塹壕から離れた場所にいて

生き残ることができました


父はマラリアにかかり

生死の境を彷徨ったそうです


父が復員したのは終戦から

1年以上経ってからでした


出征前は60kgほどだった体重が

復員してきたときは

30kg台だったそうです


私が祖母(父の母親)から聞いた話では

あまりにも痩せ細っていて

顔も変わっていて

本当に自分の息子かどうかも

分からなかったけど

とりあえず自宅に住まわせた

そうです


戦場では、他に話すこともないので

皆が自分の故郷や家族のことを

繰り返し繰り返し事細かに話し

同じ部隊の仲間の家族のことは

皆細かく知っていたそうです


復員したら家も家族も失っていた人が

戦死した仲間のフリをして

仲間の家に転がり込むことも

珍しくなかったそうです


しばらく家において

ふっくらしてきたら

本当に自分の息子だったので安心した

と祖母が話していたのを覚えています






そんな父が

ひとつ怒っていたことがありました



私が子どもの頃、

傷痍軍人(しょういぐんじん)といって

白い服を着た人たちが

各家庭を訪問したり

街角に立ったりして

物乞いをしていていました


画像はWikipediaからお借りしました


中には手足に包帯を巻いているなど

怪我の後遺症があるように

見受けられる人たちもいました



父がしばらく見ていろというので

様子をみていると

ほとんどの人は物乞いが終わると

包帯を取り外して

何事もなかったかのように

スタスタ歩いて帰っていきました



父は、

本当の戦場を経験して

大切な仲間を見送った人間なら

あんなことはしない


あいつらは本当の戦場に行ってない


あんな奴らに金をやる必要はない

と言ってました




もちろん、中には

本当に戦争で怪我をして

復員しても働けず

物乞いをしていた人もいたのでしょう



でも、

本物の戦場を経験し

多くの仲間を見送った父は

物乞いをする人たちを

受け入れることができなかったようです




そんな父は戦争が終わって

20年以上経ってから

勲章をいただきました



父にとっては

戦争経験がむくわれた思いだったでしょう





父が光に還って約30年



日本の戦争が終わって80年




世の中から戦争がなくなり

みんなが平和に暮らせますようにお願い








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