真田丸跡を
訪ねて。
真田丸は、どこにあったのか?
以前、現地へ訪れたレポートを
掲載した。
◆真田丸の戦い
NHK大河ドラマで話題だった真田信繁
(幸村)。
1614年12月、大坂冬の陣、この戦いが
あった。
この真田丸はどこにあったのか?
最近の研究調査により、場所が特定された
ようだ。
この辺一帯の町名は真田山と呼ばれるが、
真田丸は真田山には無かった。
現在の大阪市天王寺区餌差町5-44の
大阪明星学園と当時から存在する
心眼寺を中心に出城が造られていたことが
判明した。
この辺りには当時から存在していた寺が
数件あり、この寺をも要塞として利用して
いたことが分かってきた。
よって、真田丸は原野に造られたものでは
無く、市街地の立地をうまく活用した要塞
だったようだ。
さっそく、現地へ行ってみた。
最寄駅はJR大阪環状線、玉造駅(たまつくり)
北出口から10分、または、地下鉄鶴見緑地線
玉造駅2番出口から徒歩7分エリアにある。
詳細図
真田丸、最近の計測では東西220メートル、
南北230メートル、形は丸では無く、台形で
あったことも判明した。
跡地エリアに行くと、私と同じ目的の方たちが
何組も散策している。
最近、跡地と判明されたので、本年1月に
明星学園グランド横に碑が建てられた。
寺の門扉には、真田家の家紋である
六銭紋が配置されている。
「六銭紋」を調べると、当時は三途の川の
渡し賃が六文だと信じられていて、
いつ死んでもいいように衣に縫い付けて
いたと言われている。
当時から真田丸の中にあった心眼寺。
岡山からのバスツアーの方たちが、訪れている。
すでに観光地になりつつあるようだ。














