昭和30年代の
子供の遊び その4
①天下町人
軟球を手の平でワンバウンドで打ち合う
ゲームである。
まず、田の字のマスを書く。
このマスごとに殿様・大名・ 武士・町人
が割り当てられる。
細かなルールは忘れたが、町人を
スタートとし、順に勝って行かないと
上へは上がれない。
町人で破れると、再度、チャレンジ権を
持つ町人の順番が来るまで「乞食」と
して列に並ぶのだ。
殿様は大名に命令を出す権限があり、
緩く打ちやすいボールを大名にパスし、
大名はキツイボールを町人のマスを
目がけて打ち込むのだ。
その時の命令言葉は「町ゴロ」
(チョーゴロ)と出す。
すなわち、「町人を殺せ」の略語である。
大抵の場合は、一発で勝負が付く。
ワンバンでも弾道が低いので、町人は
まず、打ち返すことができなかった。
打ち返したボールが相手側のマスから
出たり、空振りすると負けだった。
②探偵ごっこ
住宅と住宅の間にある幅の狭い路地や
塀の上を伝い歩きするものだった。
この塀の上になると幅が12~13センチ
しかなかったが、殆どが家屋の壁伝い
なので、歩行が安定していたと思う。
ある日、塀の上から飛び降りた友達が
いた。
ところが、板塀から飛び出てた釘で足を
大きく切ったことがあり、これを機にこの
遊びを止めた記憶がある。
この遊び、どこが「探偵」だったのか?
未だに分からない。
③ウラのごんべいさんに
聞いたら。。。
当時、大阪の子供が二者選択に迷った
ときは、「どちらにしようかな?ウラの
ごんべいさんに聞いたら良く分かる。
ぷっとこいて、ぷっとこいて、ぷっぷっぷ」
。。」と言ったもの。
これを調べるとこういうページがあった
ので紹介しておこう。
まあ、よく調べたものだと思う。
このページは面白い。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/5171/dore.html
④「じゃんけん」について
大阪では「じゃんけん」とは言わない。
「いんじゃん」という。
掛け声も「いんじゃん ほい」で
「ぽい」では無い。
これを地方ごとに調べたページがある。
東北では「じっけった」という県もあるようだ。。。
いや~ところ変わればである。
◆カエルの解剖
遊びの話ではないが、小学校の授業として当時、
「カエルの解剖」があった。
カエルの臓器を人間の臓器に置き換えるような
授業だったと思う。
こんな残酷なこと、今はやっていないと思うが?
女子も参加していたか、どうかは記憶して
いないが。。。
◆傷痍軍人
(しょういぐんじん)
復員したが戦争による傷により、生活に
支障が出ている方たちが物乞いをしていた。
このような方たちが、駅前や街角、
初詣時のお寺や神社に立ち
「物乞い」をしていた。
楽器を奏でる人や、ただ、
うずくまっている人もいた。
確か、昭和45年ごろ(1970年)でも
見掛けることがあった。
ただ、通行しているみなさんは
冷ややかで、お金を入れる人が
少なかったと思う。
調べると、この方たちへは軍人恩給が
手厚く支給されており、このように
街角に立つ必要は無かったのかも
知れない。
財団法人傷痍軍人会という
のが存在していたようだが
高齢化により2013年に解散しているようだ。
実に最近までこのような方たちの
団体組織があったのだ。
そういえば、私の親父も足首に手榴弾
による傷跡があったのを思い出した。
このようにブログを綴っているいろいろと
記憶が蘇るものだ。
まさに「温故知新」である。
<続く>


