昭和30年代の

ライフスタイル その4

 

◆当時の子供の行動などを

思いつくまま書いてみた。 

 

 

①チンドン屋

今ではもう見ることがないチンドン屋。

近くに店が開店、また、売出などがあると

チンドン屋さんが町内を回る。

特に何があるわけではないが、後をついて

行ったものだ。

 

 

 

 

 

 

 ②ロバのパン

ロバ(実際は小さな馬だったと思う)が、パンの

入ったショーケース馬車を引き、売り歩いていた。

 

 

 その時の、テーマソングがこれ。

今聞くと、時代を感じる。

 

 

 

当時、子供の間では、ロバのウンコで作った

パンだという、噂が流れていた。

ネット調べでは「蒸しパン」だったようだ。

これが、子供の視点では、そう見えたのか?

 

③ネズミ・ゴキブリ・ハエが

多い時代

当時はどこでもネズミが多く、夜中に天井裏を

走り回る音が聞こえる。

両親曰く、猫に追いかけられているネズミの

集団だと。

10軒ぐらいの長屋なので相当長い天井裏

だったと思う。

我家ではこれを「ネズミの運動会」と称していた。

このネズミ、今では考えられないが、

時々、寝ている布団の上や周辺を這いまわる

ので怖かった。

 

 ハエも多く、ハエ叩きは欠かせない。

当時、ハエを叩き殺し、これを割箸でマッチ箱

へ入れる。

このマッチ箱一杯分のハエを学校か保健所

かは忘れたが、持っていくと鉛筆1本と交換

してもらえるのだ。

これに私は発奮し、マッチ箱を積み重ね、多く

の鉛筆をゲットした思い出がある。

こういうことって、今では考えられない。

また、そこまでハエも多くない。

 

また、今では絶対出来ないが、小さなゴキブリ

は手の平や腕に這わせて遊んでいたもんだ。 

 

④混乱した靴サイズ

今では靴のサイズ基準は当然、㎝だが、当時

から中学生ぐらいまでは文数(もんすう)が

基準だった。 24センチが約10文だった

ようで、中学生のころの私のサイズは

10文3分(トモンサンブ)だったと思う。

当初、㎝表示がややこしく、相当、混乱したと

思う。

 

⑤狂犬病の恐怖

親からうるさく言われたのが「犬を触るな」だった。

戦後から12~13年しか経っていないこの時代、

親世代は狂犬病の怖さを分かっていたのだと

思う。

調べると1957年(昭和32年)まで患者が

いたようで、戦前は被害がもっと多かったようだ。

何と言っても致死率100%なのだ。

 

 

⑥ラーメン・焼肉とは

言わなかった?

当時は確か「ラーメン」と言うメニュー名が

無かったように思う。

大阪では、「中華そば」か「支那そば」と

言っていた。

「焼肉」もそうで、当時は「ホルモン焼」と

言っていた。

このころはホルモン焼屋へ出入りする

ことが下品とされた時代で、母から口止め

された記憶がある。

多分、牛の蔵物を食することに嫌悪感が

あった時代だったのだろう。 

 

⑦停電
当時は時々、停電になった。
我家だけでなく、その辺一帯が停電となる。
慣れとは恐ろしいもので、特に慌てず、
懐中電灯、ろうそくを点けたものだ。
今から考えれば、高度成長期のこの時代
なればこそ、電気供給量が不足していた
のだと思う。
この頃、関西電力が社運をかけ、
黒部ダムの工事をスタートさせたのだ。
調べると総工費は513億円で、当時の
関西電力の資本金の5倍、しかも、
世界銀行からの借金だった。
1956年(昭和31年)着工し、東京オリン
ピック前年の1963年(昭和38年)に
完成した。
 
数年前に行ったクロヨン。
 
⑧日常の買い物
むろん、当時はスーパーやコンビニが無く、
もっぱら商店街や公設・私設市場への
買い物であった。
量り売りが主体なので、今のように
パッケージに入っていない。
お肉は竹の皮で包むが、その他は新聞紙
を使っていた。 
魚や野菜、場合によっては果物までを
新聞紙に包んでいた。
これを手持ちの麻で編んだ買物袋に入れ、
持ち帰っていた。 
 
 
当時の市場はこんな感じだった。
家族経営のお店が殆どなので、
お客さんと顔馴染になれることが
良かったと思う。
 
 
 
 
今から考えれば、超エコで、ゴミもそう
出なかったように思う。
まず、食べ残しが殆ど無い。 
当時、ご馳走のすき焼きをすると、
どうしても野菜などが残ってしまうが、
翌日、これにご飯を入れ、仕上げに
卵を割る。
肉の入っていない牛丼風にして再度、
食べるのだ。
すき焼きの残り汁のダシが効いて、
これが、実に美味かった。
もっとも今では、ここまでして食べたいと
思わないが。。。
これが駄目になった日本人の一人、私だ。
 
そうそう、思い出した。。。
明治生まれの母方のおばあちゃんは、
外食の際、出てしまった食べ残しを持ち
帰れるように、小さなお弁当箱をいつも
携行していた。
モノの無い時代を過ごした方たちに
とっては当たり前の行動で
 「もったいない精神」
そのものだった。
そう考えると飽食の現在、考えさせられる。
 

 

 

続く