昨日つらつらと見ていたYouTube動画の中で重ねて出てきたことがあり、それは常々私が和数秘学®の中でも話していることだったので、答え合わせのような気分になった。

 

 

ひとつめは苫米地博士の動画の中に出てきて、それは苫米地博士ご自身のお考えだったのか他の方の引用だったのか忘れたが、宇宙がなぜ生まれたかの話で「寂しかったから」と仰っていた。

 

 

もうひとつはTOLAND VLOGさんの動画の中で対談相手の長嶋修さんが、宇宙がなぜ出来たかというと神(のようなもの)の暇つぶしのため、と仰っていたのだ。

 

 

和数秘学®の講座では「数字がどうやって生まれたか(連鎖性)」の話をする。

 

 

まずこの世界には「無すら無い」本当に何も存在しない状態がある。

 

 

この前提を想像するところからすでに物語は始まっていて、「無がある」状態は本当の無ではない。その「無」すらないのが本当の無なので。ややこしいけどね。

 

 

で、この本当の無の状態からまず「無」が生まれる。これが数字で言えば0(ゼロ)だ。

 

 

ちなみに日本語ではゼロのことを零(ゼロ/レイ)と記すことがあるけど、厳密にはこの零の字には「ほんのわずか」という意味がある。

世界(宇宙)の始まり、そして数字の始まりについて話す時、無すらない状態→無がある状態(0)と考えるなら、0の状態には「無」があるので零(わずかにある)の字をあてるのはかなり深いというか「知っている」感があって面白い。

 

 

話は戻るけど、なぜか連続してこの宇宙がなぜ出来たか?の話題に触れることがあり、どちらもが創造主の暇つぶしとか寂しかったからとかという仮説であった。

 

 

和数秘学®でいえば、0は「無」というよりは「意識」の誕生で、その「意識」が生まれたときにそれは「好奇心と孤独を感じた」という物語になっている。

 

 

「それ」は、自分(内側の世界)とは?と他者(外の世界)とは?という問いを抱いて、そのうちの外へ向かう好奇心が最初の数字1として、(物語上は)地球へ飛び出していった、と和数秘学®では語られる。

 

 

そうして1が生まれ2が生まれ、次々9までの数字が何らかの意味や意思を持って生まれる。

 

 

和数秘学®の思想の基本は全て「物語」なので、こんな風に数字の誕生もまた物語で考えるのだ。

 

 

1がこういう性質だから2はこういう性質、それに続く3はこんな性質、という風にすべて繋がっていて連なっている。

 

 

最終的にそれらは一周して螺旋を描きながら上昇する。

 

 

俯瞰してみれば全部「ひとつながりのもの」なのだ。

 

 

そこまでの理解が腑に落ちた時、あの人がどうとかこの人がどうとか、細かい差異やそれに伴う感情の乱れは全く深刻なものではなくなる。

 

 

悟りに近い人が「あの人は私で私はあの人」みたいに言うのは、多分こういう理解なのだと思う。

 

 

私自身はまだ「完全体得」とは言えないけど、以前はこことは真逆の位置に居たから、今は数秘のおかげで随分近づけた気分ではいるし、生きやすくなった。

 

 

数秘を、数字を使うことはこんな風に生きやすさに繋がるものだから、たくさんの人に知って欲しいなぁと思っている。

 

 

★★★

 

 

最近はnoteでもいろいろ書き始めたので、よかったらそちらも覗いてみてくださいな。

 
 
 
 
 

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