今日、PC内の整理をしていたらなぜかものすごく古い日記が出てきて驚いた。
2002年とか? 私は30代半ば。
私は40代ぐらいまではず~~~っと日記を書いてた。
多分、30代ぐらいまでは毎日毎日飽きもせず長文を書いていた。
2002年も、どうやら毎日書いてたらしい。
多分2~30日分ぐらいあったろうか?
でもそのうち2日分ぐらいだけ読んで削除した。
当時の恋愛の話が主だったけど恋愛話はどうでもよくて、Y(亡くなった親友)にそれを相談してこう言われたとか、その通りだと思うとか、そういうことがちょっと切なかった。
Yは私に対して否定的なことを言うとか苦言を呈するとかってことはほとんどなかったけど、恋愛に関してだけはごく稀に「やめといたら?」と言われることがあった。
日記の中では、私が当時の恋人の気持ちを試すようなことをしてたのに対して「そういう揺らすようなことはやめたら」と言われたようだった。
日記の中の私は、確かに「揺らす」のはよくないかもしれぬと思ってるようだった。
恋人に対して疑念があっても、自分自身がどうあるかをきっちり決めてどっしりと構えているのがいいのではないか?と。
ちなみにこの時の恋人への疑念は当たっていたし、その後何年もこの恋愛に関してはしんどい想いをすることになるのだけど、それはまた別の話。
なんでもそれが「有る時」にはありがたみがわからない。
恋愛に悩んだり愚痴りたいことができればYの店(Bar)に行って、カウンターを挟んでお酒を飲みながら喋るだけ喋って気持ちを整理できたことのありがたさに、当時は全く気づいていなかった。
話したいと思えば話せる、会いたいと思えば会える。
そのありがたさ―有難さ。
で、Yの話題も出てくるというのになぜPC内の日記を全部読まずに削除したのか?
もう過去のことは要らない、と思ったから。
Yに対しても改めて「私は生きてるし、今後も生きていくよ」みたいな気分になった。
想い出話は私もそっちに行ったらまたゆっくりするとして、もうしばらくは年を重ねる私を見ててよ、という気分。
年を取るのはいいことばかりではないよ。45歳で去ったYに「ズルい」と思うことも少しはある。
でも数秘5の私は、やっぱり今でも未来に何か面白そうなことが待ってる気がしてるんだよね。
それを味わい尽くすのが、私の「使命」なんじゃないかと思ってる。
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