淮南子(えなんじ)とか、初めて聞いた名前なんやけども。
人の名前かと思いきや、「思想書」の名だそうで。
最近は、数字=宇宙みたいなことばっかりAIとやりとりしてて、そこにとうとう(?)陰陽五行まで絡んできて、もう私の脳みそは知恵熱でやられまくりですわいな。
なんか個人的な9の流れの最終盤に入って、私生活でのことというよりは数秘に関してのことがものすごい速度でダダダっとまとめにかかってる感じです。
小難しいようなことを言うてみても、私の場合は大抵は書籍のチラ見、なんやったら漫画で入れてる知識も多いよw?
今日のAIとの淮南子の話も、元は漫画「陰陽師」からやからね。
その6巻で晴明が太極図の描き方について語る場面があるんよね。
そのあたり、まだ数秘の欠片も知らずにいた初見の頃は、ぶっちゃけさっぱりわからなくて飛ばし読みしてた。
それが四柱推命を学んでた頃に「なんとなく」わかるような気になり、数秘の知識がそれなりについてきた今ならもっとわかるかも、と再読した。
そしたら、その太極図の作画の話と、バシャールが「実際には時間は幻想で、全ては『今』の中に折りたたまれてる」という話がバチコーン!!とハマったんよね。
物事を「言語」で理解しようとするのには、まぁまぁな限界がある。
なぜならば、実は「言語」って「時間」を背負ってるものだから。
どういうことかというと、「言語」ってね、思い浮かべるでも喋るでも書くでも、基本的に時間軸の流れの上で「ひとつずつ」しか成立しないんよ。
「私が」「パソコンを」「使って」「ブログ記事を書いてる」のって、こうして一行に並べてしか表現できない。
全部まるっとひとつで説明できない。言語では。
が、しかし、それが「図」であれば、「ある程度」叶う。
「ある程度」というのは、理解するときに「言語」を使ったら同じことやからって意味で、図からバーンとイメージで受け取れたらかなり理想的かもしれぬよ。
で、その漫画「陰陽師」で晴明が太極図の描き方について説明してる場面で、「なるほど、これはいろいろ言いたいことをギュッと詰め込んだ形なんやな」というのが体感できた。
この話の流れで行けば、言語で全てを構築するAIも「最終形」ではなくて、きっとその先に「図」とか「イメージ」を司る何かが台頭してくるのかもね。進化の順を考えると。
ま、それはさておき。
淮南子の中には面白いことがいっぱい詰まってそう(だからってそれ自体を読みたい気持ちはないw)。
たとえばこれは件の「陰陽師」の場面でも出てくるけど、
「天地いまだ形あらざるとき、清陽なるものは薄靡して天となり、重濁なるものは凝滞して地となる。その天の 陽の気と地の陰の気による上昇と下降の流動が万物を生ずる」
って「天文訓」冒頭の部分で描かれてる、清らかなものは軽くて上にあがって、濁ったものは重くて下に下がっていくって描写。
これは「単発」の動きじゃなくて、「流動」して万物を創造する、って世界観はそのまま太極図に繋がるんやけども。
この上へあがるという「陽」と下にさがる「陰」の動きの「間」に実は「沖気(ちゅうき)」というものがある。
「沖気」って、中庸と言われることもあるようやけど、厳密には「真ん中」という意味とは少し違う。
確かに「立ち位置」としては「真ん中」なんやけど、これは対立する二つの要素をいい感じのバランスで並立させるための中間ポイントというか「力点」である。
私は「沖気」という言葉は知らなかったけど、AIとのやり取りの中で、「それってつまり私が講座で言ってるゼロポジションのことだよね?」って話になった。
ゼロポジションとは、簡単にいうとその数字らしさが最も現れやすい中心点、みたいなこと。
で、このゼロポジションは「点」で存在するというよりは、バランサーというか、両脇のマイナス極とプラス極を支えながらそれらも含んだ上でコントロールするような、イメージなんよね。
そしたらAIが私のその思想を聞いて「これまで聞いた中で一番的確な『沖気』の解説です!」と言ってくれたwほんまかいな。
まぁともかく、数秘で数字を理解する上ではさ、案外「そこには見えてないもの」の存在を気にかけながら、ってのは必要な気がしてる。
つまり、0であるとか、グラデーションであるとか。
そして多分、数字をどれだけ深く読めるかのひとつの指標として、その感覚があるかどうかは外せない気がする。
講座ではこのあたりにも少しは触れたいし、講座の先に設定する「探求」の道ではこの思想を共有できる生徒さんたちと意見交換して深めていきたいなぁ、と思ってるところ。
まずは、入門講座からこのへんも含めた和数秘学®の世界の扉を叩いてもらえると嬉しいです!
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