
ぎゅうぎゅうなフタリ
さて昨日は受講生特別講座の日でした。
今回は少人数だったので、かなり濃密な時間となりました(それはそれで良かった)。
いろんな質問も飛び出したし、私が話したいことも話せました。
その中のひとつの話題が、「数字は誰が決めてくるのか?」問題。
問題、というほどではないですが。
私はよく「数秘の物語上、人はみんな生まれる前に『あちらの世界』で自分で今世の数字を決めてくる」とお伝えしてます。
これ、「数秘の物語上」と言ってますが、厳密には「私が採用してる数秘の前提では」ということです。
先日、いくつかの数秘の流派の違いについて書きました。
その中の「誕生日の意味」というところにも書き並べましたが、
誕生日の数字を「自分で決めてきた」というのは、基本的にはモダンヌメロロジーの思想です。
私が最初に学んだのがモダンヌメロロジーだったのでその影響を受けているということもあるし、私自身の考えとも合っていたので採用しています。
でも「古典的な」数秘では、基本的に誕生日は「与えられるもの」という考えです。
その与えるものは「宇宙」だったり「神」だったりしますが。
これは狭義では、「自律」か「他律」かの違いといえます。
但し、俯瞰して見れば結局は私たち一人一人は宇宙の一部であり神の一部であると思えば、おんなじことを言ってるってことにもなるんですけどね。
これを「どちらも同じことを言ってるからどっちでもいいよ」と言える人は多分、少なくとも「悩んでいない」人だと思われます(もはやだいぶ「上級者」)。
なので私も含め、大抵の人はどちらかに分かれます。
で、私が自分の数秘(和数秘学®)で「自分で決めてきた説」を採用してるのは、自分の人生は自分で創っていける、というところに意識を向けて欲しいからです。
もちろん、誰かに与えられたものであっても、もしくはだからこそ、一生懸命生きようと思える人も多いでしょう。
でも他律の考えでいるとたとえばコトが思うように進まない時に、「私は不幸な星の下に生まれた」みたいな考えに繋がる可能性もあるのでは?と思っています。
だったら、厳しく言えば「全て自己責任」、前向きに言えば「全て自分で創っていける」と思った方が面白いよね?というのが私の考え。
ここでも「面白さ」が価値基準の数秘5ですw
ま、別にどの考えを自分の人生に適用したっていいんですよ。
そういう「手順」は全部、充実した人生を送るためのただのツールなんで。
「宇宙が与えてくれた」と考えた方がロマンがあってワクワクするならそれでいいし、「生まれる前の自分が決めた」と考える方がやる気が出てくるならそれでいい。
今のところの私の考えを丁寧に表現すると、誕生日とは「生まれてくる前に(何かやりたいことがあって)自分で決めた数字」であり、その背後に何か大きな存在がいて私にその数字を選ぶことを許している、という感じです。
この二段構えのイメージ、伝わるかな?
ここが二段構えになってることで、「私たちは本来『ひとり』じゃない」と思えるし、今ここにいることを許されてるとか認められてるとか、もっとロマンティックにいえば「いつでも愛されてる」というところに繋がる。
はじめてのおつかい、みたいなもんですよ。
自分一人でめっちゃがんばってるつもりでも、本当はそれをいつも見ていて守ってくれてる大きな存在がいる、というのが本来の「愛ある世界」の構造。
・・・と、これはある種の期待を込めてそういう考えをベースに和数秘学®を展開しています。
こういう考えのもと、数秘の入り口として和数秘学®入門講座をやってます。
今は講座の手直し中で、募集してるのは33の人向けのものだけなんですけどね(;^ω^)
こちらもありがたいことにたくさんのお申込みをいただいていて、もうちょっとしたら締め切ろうと思います。
オンラインとはいえあんまり人数増えるとグループ講座の良さが発揮できないので。
33の人にお勧め。自分で自分を理解するためのグループ講座はこちらから(募集人数あと若干名)
33以外の人、そして今回の講座がスケジュール的に難しい33の人向けに、5月の募集でもグループ講座を開催しようと思ってます。
決まり次第、こちらのブログでご案内するのでご興味ある方は待っててくださいね~
おかげさまで3月は満枠です!
4月のスケジュールはこちらから

