りっくん王子が「転勤」になってもう7年・・・

 

 

最近、周りで「山登り」「山歩き」の話がよく出る。

 

 

私も今ではすっかり股関節痛のせいで(太ったせいで)たくさん歩けなくなったけど、一時期冬山を歩いてた時期があるし、初めての屋久島では無謀な縦走もした。

 

 

屋久島縦走旅はほんまに無謀で、当時はまだ山に登ったこともなかったのに(一応、ちゃんとそれを申告してツアーに申し込んで)行ってみたら、「レスキューの人が通る一般とは別のルート」だったりしてほんまにしんどさMAXやった。

 

 

廃墟のような小屋に見知らぬ人たちとギュウギュウになって寝袋で寝たり、もちろん「お花を摘みに行ったり」もした。

 

 

両手両足を同時に使って這いのぼるとか這い降りる箇所もちょいちょいあった。

 

 

いい経験やと思うけど、もう二度と出来ない(したい気持ちもないw)。

 

 

その後始めた山登りは今は懐かしいmixiのグループに参加して、全然知らない人たちと交流して慣れた人に連れて行ってもらってた。

 

 

雪山以外は興味がなくてほとんど参加しなかったけど。

 

 

今も昔もあんまり「緑」には惹かれないのかもしれない(緑もりもりが少し怖い)。

 

 

それはともかく、元々しんどいことは嫌いやし、当時は「自然」をさほど欲してなかったのに、なぜ繰り返し山に行ってたのかわからん、と思ってた。

 

 

でも今思えば、もちろん自然の中に身を置くことで何かを調整したいと無意識で思ってたんやろし、きっと「必死」になりたかったんやろう。

 

 

普段の暮らしの中では「がんばる」ことはあっても、案外「必死」になることは少ない。

 

 

山歩きって、初心者向けのルートでもところどころは「ここから転がり落ちたら死ぬよね?」って場所もあるし、体力的にも「ひとりならとっくに諦めてる」ところを他の人もいるしついて行くしかなかったりもして、自分で勝手に設定してる「限界」を超えていかないといけない場合がある。

 

 

現代って精神面にフォーカスが当たりがちやけど、そこにいろいろ手を入れるよりも、実は肉体を現実的に「限界」に近いぐらい使うことで精神って一段上に行ける気もしてる。

 

 

インドの修行僧やら比叡山の千日回峰行とかって、結局そういうことでは?と思う。

 

 

山登りって、時にはそれのちっこい版みたいな意味を持つんちゃうやろか。

 

 

なんか、今っていろんなことの順序が逆になってる気がする。

 

 

先日も記事にしたけど、本当の調和って「まずは自分」が充実すること。

 

 

 

 

他者に奉仕をしてから自分を大事にするのではなく、まず自分を慈しんでから他者に働きかけるのが正順。

 

 

これと同じように、本当はきっと肉体を充分に使えるようになってから精神を充実させるのが本筋なんやろう。

 

 

なんてことをつくづく考えていて、でも山歩きのハードルは高いから、ひとまず日帰りキャンプから始めよかしら、と思ってるこの頃なんですのよ。

 

 

 

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