一人ひとつずつで平和な湯たんぽボーイズ
和数秘学®講座を修了して実際に鑑定を始めた方の中には、「実際やってみるとなんか自分に(鑑定は)向いてないと思う」という方がちらほらおられる。
数秘そのものは面白いけど、と。
個人的には、「それはそれでいい」と思ってる。
特に「自分でやってみないと納得できない」質の数字なら尚更(私もそう)。
そしてあとは「環境が許せば」の話をたまにするけど、それと照らし合わせても環境的にそこで必死に鑑定を続ける必要がないならそれでいい(鑑定をやめていい)と思う。
ぶっちゃけ私はまぁまぁ環境が許さなくて数秘を頑張ったという側面も否めんよ。
50代に入って、ほぼ肉体労働と言っていい量販店での販売員のパートがええ加減きつく感じ出したけど、まだまだ働かんことには家計が回らんで!という状況で、パートの代替案として占いを始めたから。
そもそも年金生活になったとて、生涯現役で働いて収入を得たいという願望があったしさ。
数秘は面白くて飽き性の私も続けてこれたってのは大きいけど、それだって途中(仕事として)うまくいかん時期に「こんなことやっててもしゃあないかも」と思ったりはしたよ。
もしも私が「別に旦那の収入だけで生活できるし」という身分やったら、フェードアウトしてたかもしれぬ。
数秘5なのでね、自分に対しても人(生徒さんとか)に対しても、「イヤやったらせんでええんちゃう?」と思う派よ。
たーだー(粗品風に)
それが「ちょっとしかやってない」のに「思ったような結果にならんから」って「逃げの姿勢」で言うてるなら、もったいないなぁとは思う。
世の中の大抵のことは、軌道に乗せるまでの最初の段階にいろいろトラップが仕掛けられてる。
これはある種「試される」感じなのかもしれん。
「ほんまにやりたいの?」「本気なの?」みたいな。
5・11・33あたりはこの「ちょっとやっただけで逃げに向かう癖」はあるかな、と思う。
これはなまじうっすら未来を予見する質であるから、とも言えるけど。
地頭のよさや経験値があったり、直感や予感みたいなものを受け取りやすいからそうなる。
そこにあんまり自身の成功体験が薄かったりして「どうせ私は」みたいな価値観がのっかるとさらに厄介(過去の私のことね)。
現在の私の心境としては、やりたいことがあるなら「やるかやらんか」だけの話やんっていう感じ。「出来るか出来ないか」ではなく。
「やる」は変化を起こすし、「やらん」は何も変わらん、ということ。
多分、人生を充実させるためには変化が必要やし、変化こそが成長に繋がるんちゃうやろか。
これは奇数も偶数も関係なく、生まれて死ぬという時間軸に生きるものは全て同じ条件やと思う。
生きるって一秒一秒が変化の連続なので。
還暦間近になってきたから余計にそう思う。
人生の残り時間を気にするようになったから。
やるかやらんか選べるのも今の内。
あと10年経ったら、やりたくてもやれんことが大半かもしれん。
いつだって選択できるのは贅沢なこと。
もちろん「やらん」を選択するのもその人の人生やし、それはそれで尊重はしたい。
それでも「やる」方が面白いんちゃう?と思ってしまう数秘5の私ではあるんやけどさ。
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