この間の日曜日に行ったこちらの講演会。
まだコロナ禍という事で、席を1つずつ開けての 250名 限定の講演会となりました。
会場内はまだ空調が効いていなかったのか?
外は少し肌寒い風が吹いていたんだけど、内部は暑くてねぇ~~・・・
薄手の上着を脱いで、着席したもののそれでも暑くて、うちわが欲しいくらいでした。(笑)
まっ、講演会が始まると・・・・
段々丁度いい感じの温度にはなっていましたけどね。![]()
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開場は講演1時間前・・・・、私は30分ほど前に到着して前の方に座りました。 丁度この位置からだと、河合先生は私の目の前左手にいたんで、はっきりと本人確認ができて、ちょっとお得な気分でした。(笑)
主催者側の方のあいさつが終わると、いよいよ右手より先生が登場。
今はメディアでもよく見るお顔ですが、現在は多摩大学の客員教授や早稲田大学の非常勤講師なども務めているそうだ。
元々は5年前まで都内の複数の高校で先生として立ち。
27年間務めた教員生活を止めて、今のような 歴史学 の世界に入っていったとの事でした。 御自分が書かれた論文が、これは面白いと「是非書籍にしませんか」と言われて、それがきっかけとも言っていた。
河合先生のお話しは、なかなかわかりやすくてユーモアもあって、やはり教壇に立って子供達に教えていた事で、素人にも理解できる方法で、時々は御自分が出演したテレビ番組や、歴史参考指南をされた番組などからの画像を使ったり、その時の面白エピソードとかも披露して、その時は会場内に笑いが起こるほどの楽しい時間となりました。
最初にウケ場面は、 信長 の事だったかもしれないな。(笑)
織田信長は、実は空気が読めない「KYな人」だった。
信長の事を記した書物でも、 「信長公記」 は信ぴょう性が薄くて、後の人が記した書物に登場する信長像こそ、信ぴょう性が高いと言われている件。 KYだった故に、彼は人を見抜く事もその相手が、自分にとって本当に良き相手なのか嘘はないのかと、先読みできなかった為に、多くの武将達に裏切られたり攻め入られたりと、苦労もしたんだと先生は言っていました。
確かに人の評価って、その時代時代で代わるものだし、伝える側がその人物を大好きだったりすると、悪い事には蓋をしてとかく良く評価を下そうとする事は、戦国だけでなくて様々な時代である事だ。
あの比叡山を焼き討ちにしたくらいの信長でも、実は本来はとても信心深い人だったとか。 彼の有名な戦いでもある 桶狭間 では、これまで伝わって来た通説は後のフィクションであり、真実は何もわからないとの事。 つまり歴史学的な信頼のおける史料が残されていないとの事なのだ。![]()
歴史学 と河合先生が行った時に、この言葉凄く気に入ったんだけどね。 その歴史学の中にも、参考とする史料として 一次史料 と 二次史料 とするものが参考とされるとあって、一次史料とは文字通り一番信頼がおける有力な事を記載もしくは、物証などが残されているとした事なのだが、二次史料というものは信頼するには乏しいものもあるが、そこそこ参考にはなるとした事柄で、それらを総合して歴史の謎を解いたりするといったものだ。![]()
今私達が知る殆どは、二次史料的な事が多いけど、それを裏付ける為の一次史料が登場する事で、その事柄の信ぴょう性が増すといった事だ。![]()
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昨年の大河ドラマでは、信長の家臣でもあった 明智光秀 が描かれましたが、彼の妻である 煕子 とした名前も、本来ははっきりしてなくて、この人が出た家の家人の人の一文字を取って、煕子 と名付けられたのだとした事。 御存じの通り光秀には側室の記録がなくて、愛妻家であったことが伺えるのだが、その妻煕子の有名なエピソードに、家に集まった来客らのもてなしに、まだ貧しかった明智家では内助の功を発揮して、自らの髪と引換に食の用意をしたとした事。
あれも、そうした記録がはっきりとあるわけではなくて、後の人が付け加えたよう物語であり、歴史でのそうしたはっきりとしないエピソードなどは、殆どが明治期になって人々に教育を示す時に、都合よく作られた物語だとした事。 これは有名な話しですよね・・・・・![]()
例えば、時の明治天皇の皇后の夢に、 坂本龍馬 が現れて戦勝を予測したとか。 当時は丁度日露戦争の時期で、連合艦隊が旅順港にて苦戦を強いられたりした時代。 龍馬は船を使っての海から日本を守るとした 海援隊 として考えられていた為に、これもまた都合よく作られたものだろうとした話しだ。![]()
現に太平洋戦争の頃でも、高知県にある龍馬と 中岡慎太郎 の銅像だけは、唯一壊されずに済んだと・・・・建立された当時からの姿を残している。 慎太郎の率いた 陸援隊 は、龍馬の海援隊に対して陸から日本を守るとした象徴にされていた。
(室戸岬に立つ中岡慎太郎像)
長宗我部の後に、土佐一国の主となった 山内一豊 の像などは、一度壊されているのにね。(笑)
殿様よりも偉い龍馬と慎太郎だった。(笑) ![]()
歴史的な事柄も、政治に利用された時代だったんだろうね。
その明智さんですが、先生が言うには ルイス・フロイス の記録では、信長の事を表面だけのつくろいで騙したとあり、
人を欺く72の方法 を習得したと、周囲の人達に言っていたというのだ。 なんだろうねぇ~~、その72の方法って・・・なんか怪しい魔法みたいな話し。(笑) そんな事を人に言っているだけでも、かなり光秀さんって怪しい人間のようにも思えてくるんだけど・・・・。(笑)
まっ、宣教師や当時の外国人などは、自分らのお気に入りとそうでない者では、都合よく紹介したりする事もあるし、これが本当かも怪しいが、もし本当にそう言っていたのならば、72って数字はなんなんだろうか。(笑)
その光秀とは、手紙などを書かすとなかなかの文才をお持ちだったそうで、言葉だけでまるでそこに行ったような気になれたという。
それだけ事細かに相手に伝える為の文章をしたためていたんでしょう。 私もよくブログフォロアーの方に言われますが、私の文章を読んで読むだけでなくて、その場に行って見て欲しいなと言うと、
「いやいや、貴女の文を読んでいるだけで、まるでその場に行った気になれるし、一緒に旅した気分になれるんです」 との事。(笑)
本来私としては、詳しく書くのは普通の事であり、より詳しく書くのは自分が迷ってその場所に到達したならば、同じ迷いが長じないようにと、スムーズに行ってもらいたいと思い。
ナビゲーションのような感じで、道案内をしたり目印をアップしたりと、そうした事をしているだけなんだけどね。(笑)
行った気分だけではわからない事もあるんで、やはり是非自分達の足で行って欲しいと思うのですよ。(笑)
近年は信長の城であった安土城よりも早く、天守作りの 坂本城 を築城したと言われる光秀。![]()
だが彼の出目はよくわかっていなくて、40過ぎまでその人物像がわからなかった人。 突然降ってわいてきたような人だが、多分足利家などに使ていた人物ではと言われている。
それが信長に仕える事となったのは、
「水の中の瓦礫のような私を、信長様が拾ってくれた」
と、その思いを伝えた光秀には、信長とはやはり何か魅力的な部分があったんでしょうかね。 KYなのに・・・・・(笑) ![]()
そんなリアルな文章をしたためる光秀の書中を、つぶさに読めばその場にいるようで と、信長でさえ光秀の手紙等を評価する言葉を残している。 今の世の中に光秀がいたとするならば、もしや有名な作家などになっていたかもしれませんね。![]()
そんな光秀は、実はちょっと信長と似たところもあったようで、坂本城を訪れた客人らに、時にサプライズを仕掛ける事もあったとか。
ある日城を 島津家久 が訪れた際には、いないと聞いていた光秀が、サプライズで登場して楽しませたといいます。
家人自らが直接おもてなしをするという。 コミュニケーションに長けた人でもあったのかもしれないが、河合先生はそんな光秀を・・・・
ゴマすり説 があると言っていた。 裏を返せばば 処世術 に長けた人だったのだろうと。
信長の命令で比叡山を焼き討ちする事となった光秀は、贖罪の意味も込めて後に共に焼き討ちにあってしまった麓の 西教寺 の再建に協力して、今は明智光秀や煕子の墓も (供養塔) も一族の墓と共に残されているとの事。 戦に出ればそれなりの活躍もするものの・・・
解放されると常に病や怪我人の事を気にしたとある。
そうした事は、昨年の大河ドラマでも描かれていたけれど、ちょっと普通の武将さんというよりも、医療現場の人といったイメージがある光秀。 医療に気を使うが、戦場にも出なければならない。
そこからきたストレスに、段々と信長への不信感も募りあのような行為をしたのではと・・・・。![]()
何故光秀は信長を殺したか・・・・
その謎を解く史料が無いという事は、最近よく語られる事でもあるが、河合先生の説によれば、今が親子をやれるチャンス と狙った。 「発作動説」 ではないかと・・・・。 もうこれ以上のストレスは御免だなの思いで、本能寺へ向かう親子を見て、今ならいけると発作的に思ったのではとした事だ。(笑)
なんとも行き当たりばったりな・・・・![]()
だがその謎を解決する史料がまだ出てこない。 そして二次史料となるものでは、彼は 本能寺に行っていない とした事が伺える。 江戸期になると、光秀が治めた地では、彼を崇める人々が出てきた。 光秀が治めた土地では、人々が他の地よりも幸せな生活を送れたようだった。
そのことを表すように、今でも何世代にも渡って彼と思われる仏像などを、世話する人々もいるくらいだ。
大河ドラマではその前半の物語を、光秀の二次史料を参考にして描いていたそうだ。
信長は信心深かった・・・故に、当時の堕落していた比叡山の悪僧達を許せなかった? 私達がよく目にする耳にする 僧兵 とは、江戸時代の言葉だそうで、その強訴が 悪僧 とした事だという。
悪僧・・・いかにも、何か悪い事をしていそうな感じですね。(笑)
信長でよく使う 天下布武 とした言葉。
その印を使ったのは、大河ドラマにも登場した 足利義昭 を立てて上洛した頃の事。 その信長がいう 天下 とは、今の時代ではもう全国を表す言葉ではなくて、この時代での 畿内定説 ではと、先生は言っていました。 確かに全国でなくても、中心部を治める事でもとんでもない影響力はある。 全国を手にするには、時間も労力も武器も大変な事になるし、畿内説であれば納得もいくと思う。
戦国時代はいつから始まった との質問には、これまでは室町の頃 1467年 の 応仁の乱 との事が多かったけれど、関東ではまた違った評価もあって、 享徳の乱 といった事が始まりだと、高校で教えるところもあるんだとか。
他にも 明応の政変 とか・・・・![]()
これはあまり出ていない説だそうだが、やはり一番有力な説となれば、戦い方の方法などでは、応仁の乱の頃が戦国の1つの始まりだろうと。
これらの 乱 や 政変 の事は、どんなものだったか調べてみて下さい。(笑) 長くなるのでここでは省略します。![]()
現在の学校の歴史の教科書では、有名な 源頼朝 の画は頼朝ではなくて、あれは 足利尊氏 となっているし、その頼朝の画に代わって中学の教科では、頼朝の木像の画像で表されているようだ。
こうして私が習った昭和の中での教科書の内容とは、多分かなり違う事が今は定説になっているんだろうと思うと、歴史を語る私としても今の教科書なんかも、一度覗いて見て勉強し直すべきではと思うのです。
ヘタに語ってしまったら、今は違うよって言われてしまいそうで怖い。![]()
実際これまでもいろんな「政変」なども、だいぶ表す言葉が違ってきているし、歴史を好きな人はその時々で自身も学び直さないといけないのではと思いましたね。(笑) めんどくさいけど・・・・![]()
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河合先生は今夜放送のNHK総合での 「歴史探偵」 にも出演。
今夜の話題は、先ほども書いた「応仁の乱」での 足軽 のお話し。
11年間も続いた応仁の乱は、あの足軽の姿が現れた時でもあったという。 足軽の戦法を調査して、応仁の乱の激闘をCGで徹底再現。
鉄砲のルーツとも言える新兵器や、高層ビルさながらの巨大やぐらが登場となる番組は、 今夜10時半 から放送。 番組告知より拝借
「歴史探偵 ハードボイルド!応仁の乱」 ・・・・・
この事もしっかりと告知しておられましたよ。 河合先生は・・・・(笑)
皆さんも是非見て下さい。![]()
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講演会の後半には、大河ドラマでの光秀を演じた 長谷川博己 さんの取材先での画像も紹介されていた。(笑)
前によく放送されていた別の局での 「ぶっちゃけ寺」 といった番組では、歴史の旅先で河合先生と爆笑問題の太田さんが行った回で、秀吉の陣羽織を億のお金をかけて修復したものを、太田さんが着たんで私もと申し出たら、もう時間がないんでと番組スタッフに断られたと、とても悔しがって笑っていたのが愉快でした。(笑)![]()
歴史学を伝える有名な先生でも、思うようにいかない事があるんですね。(笑)
先生の前に訪れる歴史が好きだといった人では、特に戦国だとやはり中年層を中心とした男性が多いんだそうです。
それがけっこう自分なりの硬い考え方をお持ちの方が多いようで、大変苦労する事もあるんだとか。
例えば歴史学的に今はこうなんですよと伝えると、途端に反対意見と共に、自分の考えをぶつけてくる。
「それは間違っている!」 てな感じで・・・・(苦笑)
あっ、こうした事は別に有名な先生にだけに起こる事ではなくて、私のように書いているブロガーとか、歴史好きな間でもよくあるパターンなんですけどね。(笑) 私の場合は笑ってスルーしています。(笑)
だって個人の意見でしょ・・・・、特に大昔の歴史の生き証人なんて、今いるわけもないし河合先生が言うように、一次二次な史料があるなしといった事もあるわけで、先生としてはそうゆう歴史好きな方もいるんで、なかなか発言しにくい場もあるんだと笑って話していた事が、会場でも笑いを誘っていました。(笑)
ある日先生が学校で、 読みづらい書きづらい文字として、私の国の 長宗我部元親 と黒板に書いたところ。
ある女生徒が悲鳴をあげたと言います。 先生は驚いて何かあったのかと聞くと、今書いた長宗我部元親の名前がカッコいいと・・・・![]()
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どうやらこれ・・・・![]()
この人の事を好きな女の子だったらしくて、先生も唖然としたんだとか。(笑) そんな河合先生が映像に映した比較対象が、
こちらの本物 元親 さん・・・・(笑) このありえない比較対象に、またまた会場内は笑いが巻き起こった。(笑)
年配の方やお年を召した方だと、刀が人の姿で歴史の物語の中で活躍する話し。 なんて~のもイマイチ理解ができない話しで、先生はそれに対しても事細かに話しと画像を映し出しては、その事柄を紹介していくとした芸の細かさ。(笑)
それでも歴史といったものへの興味を湧かせてくれるのならば、きっかけはどんな事からでもいいんです。
嬉しいと言っていました。
私もそう思います・・・・・(^^)v
刀が擬人化して戦うゲームでも漫画でもアニメでも、2,5次元とした舞台でも何でもいいんです。
そこからきっかけにして、様々な歴史の世界に飛び込んでいってくれる。 歴史学の面白さを実感して欲しいと思います。
今生きている今の時代も、時間と共に歴史の中に語られる事柄に変わっていくのだから、歴史って難しいものでなくて、身近に感じてワクワクできるものなんです。
会場内には、私世代の人間よりもやはり年上の方々が多かった気がします。 しかも若い人は私自身は見かけていない・・・いたのかな![]()
まっ、250名だし告知を知らなかった人もいたと思うし、難しいところですがそれでも、1時間半ほどの時間を15分ほどオーバーして、この講演会は終わりました。
先生もまだまだ史料を用意していたようで、慌てて映像を映し出していたりして、もっと話したかったって・・・・・![]()
忙しい中をわざわざ大分まで来てもらい、ありがとうございました。
また機会があれば、是非お話ししたいとの事で、私もその時を待っていますと期待しました。![]()
河合先生はとてもフレンドリーな楽しい方でしたよ。
今夜の歴史探偵を是非お楽しみに・・・・・![]()
再放送は、毎週金曜日午前0時52分~そしてもう1回は、毎週金曜日の午後3時10分~となっています。
午後の時間帯の再放送は知らなかった・・・・(笑)
どちらも当日の予定が他に入れば、放送時間が変わる事や中止もあるかと思います。 その時はテレビ欄をご確認下さい。![]()
ちなみに河合先生も、コロナワクチン接種をして、モデルナだったか3日間も熱出して寝ていたそうです。 3日間は長いなぁ~~・・・・・![]()
世の中が早く平穏な日々に戻れば、また各地を訪れたり様々な現場で話しをしたいと言っていました。











