勝海舟が「天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南州だ」・・・と言わしめた熊本の思想家。その思想と才能は、松平春嶽・勝海舟・吉田松陰・高杉晋作・西郷隆盛ら、多くの人を魅了して、坂本龍馬も三度ここを訪れた。
それが、今回紹介の小楠の家塾である
「四時軒・・・」である。
この方が・・・・大河ドラマ龍馬伝にも登場した横井小楠先生だ!
新政府に参与として召されたが、明治2年・・・出仕の帰途 襲撃されて、61年の生涯を閉じた。
「国家は富むだけではいけない また軍備を増強するだけでもいけない。地球上で一番大切なのは、お互いにその立場を認め合い お互いがお互いを許す寛容の心がなければならない」・・・・彼が説いた言葉です。肥後藩には、時習館という藩校がありました。 彼はそこで抜群の成績で、後に塾長にも抜擢されてます。 二年後には江戸遊学を命ぜられ・・・水戸藩士藤田東湖などとも意見をたたかわせていたのですが、酒の上での失敗のために・・・熊本に呼び戻されて、やがて塾を開きます。
実は、彼は引越しマニア?・・・でして、今の熊本市内をあちこちてんてんと住まいを変えています。
ペリー来航の二年後の1855年沼山津(ぬやまづ)に転居した時に、その住まいにまた開いた塾が・・・四時軒だったのです。
攘夷論から開国論へと彼の主張は変わっていきます。越前藩主松平春嶽の招きで、福井藩へ・・・また春嶽が幕府政事総裁になると、江戸に出て大事な相談役を務め・・・「国是七条」を建言しました。
ところが江戸詰めの肥後藩士と酒宴中に、暗殺団に襲われて・・・同僚を見捨てて逃げたと言うことで、肥後藩から罰せられ沼山津にて一平民として暮らさなければならなくなりました。しかし・・・時代は彼を捨てておかなかったようで、勝海舟と九州横断の旅をして・・・長崎を目指していた坂本龍馬・・・勝の使いとして、この四時軒を何度となく訪れています。
四時軒は熊本郊外にあり、
本当に、静かな佇まいの中の住宅地の中に忽然と現れる門構え・・・・
しかし、二つの会社のバスの乗り方によっては、降りる場所も違ってきて・・・本数も違うので注意です。車でも行けますが、かなり狭い住宅街の道なので・・・・なれない人には、バスをお勧めします。ヘ(゚∀゚*)ノ
カーブが角てな感じなんで(笑)
写真左の紫色の旗の辺りが、四時軒と記念館の入り口ですが、手前の道でも狭いけれど・・・・
奥の方からバスを降りてきた私が通った道は、くねくねしたもっと狭い道でした。
バス停は住宅街に近い位置だったけど、それでも半信半疑な・・・本当にこんな所にあるんかいな???と言うような心配がありました。 帰りは本数の多い国道側のバスを、教えてもらいましたが、国道まではけっこう歩きましたね!
そしてこの部屋が、龍馬が小楠に会った部屋と言われています。 壁には、その他にも・・・・龍馬が会ったこの塾の志士達の写真が紹介されていました。その数多数・・・・
龍馬と酌み交わした酒の肴は、裏を流れる秋津川や近くの江津湖の川魚の佃煮だったと言われています。
今でも談笑する龍馬達の姿や声が、聞こえてきそうなほど・・・・遠くに山を望み目の前には秋津川・・・・
時折通る近所の車の音がするくらいで、
庭には・・・鳩が餌をついばみに来ていました。今は、鳥のさえずりと風の音が癒しのシーンを演出・・・・(´∀`)
こうして、縁側には椅子を用意してくれていて・・・・
ひと時都会の謙遜から離れて、静かに日向ぼっこでもしたいぐらいでした。o(^▽^)o
敷地内の小楠記念館には、勝海舟からの手紙などの貴重な品の展示がされています。これから出てくるかもしれない・・・・う~ん???どうかな・・・・
今年の大河ドラマ八重の桜・・・・後に新島譲と結婚して新島八重となり・・・京都に同士社大学を設立していく二人・・・・これからは、女子も教育が必要と八重は夫と共に、力してゆくんですが・・・・・
その学び舎に、この横井小楠の娘も通う事になるんですよ!
後に勝海舟のはからいで、二人の甥もアメリカ留学をさせています。
この四時軒の額は、
松平春嶽が送ったと言われています。
たまたま後から来た愛媛県からの客人に、小楠側の席を写してもらいました。・・・・でもね、・・・・
実はこの前日から悪い病魔につかれていて、顔は土色ぽいし(苦笑)この後・・・熊本に連泊しなきゃならなくなるなんて、
本当になぜだか昼はまだいいんですが、気が抜けた夜となると、ホテルでうなっていた毎日・・・・う~~~![]()
こちらでも、どちらから・・・・と聞かれて、
高知から龍馬の足跡を訪ねてきました・・・の言葉に、館の方は喜んで・・・やっぱりそうでしたか。・・・
・・・って、 きっと龍馬伝の年は・・・こちらも凄い人だったのではないでしょうか。
今でも龍馬伝の福山さんと小楠役の方の紹介ポスターを貼っていましたよ。
時間があれば・・・・体調が良かったら・・・・もう少しゆっくりと館の方ともお話をしたかったのですが、残念です。・・・・またいつか機会があればと思います。
襲撃され・・・短刀を抜いて防ぎましたが、病体でもあり・・・ついに力尽きて倒れてしまった小楠・・・・
犯人は後にその多くが逮捕され処刑されましたが、一人だけ逃げ遂せた人物がいるといいます。
小楠61歳・・・墓は京都南禅寺の天授庵にあります。遺髪は熊本に持ち帰られ小楠公園に葬られているそうです。
熊城下新町の本陣に宿す。(二十日)横井小楠先生へ龍馬子を遺る。・・・・・・勝海舟の海舟日記より・・・・
熊本城近くの宿から (次回行ってみたいと思っています。) 10キロほど歩いてきて、龍馬は会うたびに常に国事の話であったといいます。最後に会ったのは慶応元年5月19日・・・・龍馬が薩長同盟に奔走している頃でした。後に、兄に宛てた手紙の中で・・・龍馬は小楠を「すぐれた人物」と評価して、新政府のリーダーの一人として推薦しているほどです。
最近よくあちこちで、うちの県の主人公を大河ドラマにとの著名帳を見かけますが、ここにもありました!!・・・・でも・・・・何かとお酒で問題を起こしていた横井小楠さん・・・・(;^_^A
どうなんでしょうかね~・・・・・![]()
でもね、この時代・・・・よく知られた龍馬さえはっきりしない時もあるように、その影でも活躍していた功労者も沢山いるんですよ!だからこうした龍馬伝の影の功労者達の足跡や生き方を、今一度訪ねてみませんか!? 何か新しい発見があるかもしれませんよ!!







