おはようございます。
あまのみこと☘️のブログへようこそ♪
精神医療・精神保健において、
薬物依存に偏らないオルタナティブな視点を大切にしています。
心のこと、精神医療のこと、日々の気づきや小さな活動まで、
感じたことを綴っていく場所です。
🌏 第6章 患者という役割
聖域から日常へ
医療や福祉の世界もまた、生身の人間が関わる現場です。
そこには「完璧な正解」を持った神様がいるわけではありません。
支援者も医師も、かつての私と同じように社会の中で「いい子」として適応してきた、不完全な一人の人間に過ぎません。
ある人は「患者」という立場を引き受け、ある人は「医師」という立場を引き受けている。
その役割の違いがあるだけなのだと、今ならわかります。
「正しい誰か」を求める危うさ
「親が間違っていたのだから、今度こそ正しい誰かが私を救ってくれるはずだ」
第5章で描いたスパルタな家庭から逃げ出した私は、診察室という名のシェルターに、そんな淡い期待を抱いていました。
けれど、誰かを神のように信じ切り、人生のハンドルをすべて委ねてしまうことは、非常に危うい賭けでもあります。
なぜなら、相手もまた人間だからです。
疲れる日もあれば、未熟さが顔を出す日もある。
「主語」を自分の外に置いたままでは、たとえ相手がどれほど優秀な専門家であっても、私は再び「医師に期待される姿(理想的な患者)に適応する存在」に戻ってしまうだけなのです。
「否定」できないという名の檻
「親が間違っている」
心のどこかでそう確信しながらも、それを認めることは私にとって耐えがたい苦痛でした。
母が背負ってきた過酷な苦労。
誰にも頼らず、泥をすするようにして生き抜いてきた彼女の人生。
その重みを知っているからこそ、母の教育を「間違いだ」と否定することは、彼女の命の輝きさえも踏みにじってしまうような気がして、怖かったのです。
親の苦労を敬いたい自分と、その苦労に押し潰されそうな自分。
その板挟みから逃れるために、私には「親が関与できない安全地帯」が必要でした。
家庭という戦場から切り離され、母の正しさが届かない診察室という聖域。
そこだけが、私が唯一、母の苦労を背負わずに「私」のままで呼吸を許される場所だったのです。
探し続けていた「師」の背中
実は、私はただ従順なだけの「いい子」ではありませんでした。外面を合わせながら、心の中ではいつも舌を出していたのです。
「なんだ、この人はこの程度か」
「私の何がわかるというのか」
そんな冷ややかな目で、大人たちを品定めしていました。
私が求めていたのは、上辺だけの優しい言葉をくれる「理解者」ではなく、心から尊敬できる「師」と呼べる誰かでした。
けれど、期待しては失望し、クリニックを転々とする日々。
私を「可哀想な患者」という型に嵌めようとする相手を、私は心の底で見限っていました。
そんな私が、唯一、6年もの歳月を通い続けることができたのが、その主治医でした。
診察室の「人」と、私の「母」
私は、その先生のことを、一人の人間として信頼していました。
ある日の診察で、私は心の奥底にある、淀んだ苦しさを吐露しました。
「私の頭の中に、いまだに母がいて、四六時中ダメ出しをされている気がして生きにくいんです。母の苦労もわかるから、余計に苦しいんです」
大人になってもなお、私を侵食し続ける母の影と、それを拒絶できない自分。
主治医は、私のその「優しさという名の呪縛」を静かに受け止め、こう言いました。
「お母さんが、あなたを思うがゆえに、そして自らの経験ゆえに口を出してきたことは事実でしょう。その苦労は、お母さんのものです。けれど、あなたはもう大人です。お母さんの言葉がどうあれ、あなたはあなたの人生を歩いていいんですよ」
「いい子」も「患者」も脱ぎ捨てて
その言葉は、私が探し続けていた「正解」ではありませんでした。母の人生(苦労)と、私の人生(自由)を、ようやく切り離していいのだという許可証でした。
「ああ、そうか。私はもう、私の人生を生きていいんだ」
母の機嫌を損ねないための「いい子」という戦略も、スパルタな現実から身を守るための「患者」というシェルターも、もう必要ないのかもしれない。
主治医という一人の「人」が、私を一人の「人」として扱ってくれたその瞬間に、私はようやく自分の足元を見ることができました。
私は少しずつ、シェルターの重い扉に手をかけ始めました。
しかしシェルターの重い扉を開こうとすると、
ふと、立ち止まりました。
「じゃあ、私はどうやって生きるの?」
守られていた場所を出るということは、
同時に、何も決まっていない場所に立つということでした。
そのとき、気づいたのです。
私は、空っぽだった。
何が好きで、何が嫌いで、
どう生きたいのか。
それを、自分で決めたことが一度もなかったのです。
正直に言えば、
心細くて、途方もない気持ちでした。
それならいっそ、「患者」という立場にとどまっていた方が楽なのではないか。
そんな考えが、何度もよぎりました。
けれど、それは
守られているのではなく、
決めることを手放している状態でもあったのです。
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