出会いと別れは突然で、意味があると思えばあるし、無いと思えば無い。
幸せ(ハッピーエンド)になるのは決まっている、というカズレーザーさんの言葉が好き。
今の精神医療も精神科病院も、ハッキリ言って必要悪だから、出来れば来ない方がいいし、関わらない方がいいと思う。中にいるからこそ思う。
でも、来るしかない人もいるから、来るしか無かった人が、いかようにすれば、自分の意思で自分の人生を歩んでいくことを放棄しないで済むかを、必死に考えて行かなくてはならない。
薬を出来るだけ減らしていく、ということをすれば、確実に当事者の寿命は増えるし、年金や生活保護費も減らせるのに、でも辞められないんだよね。ほとんどの病院が。
何人かの精神医療の当事者と出会い、何人かの人と別れた。
相談会で一度だけ会った人も居れば、仕事で比較的長く付き合った人もいる。
精神病者でいることが向いてる人と向いて無い人がいるなあと思うのと同時に、逆に、あなたは社会に出ない方がいいのかもねという人もいる。
本当に申し訳ないのだが。
減薬は、ほとんど全ての人がすべきだと思う。
しかし、断薬をして精神科医療と全く関わらずに生きていくことは誰にでも出来ることでは無いとしみじみ思う。
その道では有名な、うつみんこと内海聡医師のところに行った人間が受けるという洗礼があるらしい。
その洗礼を受け入れられる人と受け入れられない人がいるらしいが、まあ、仕方がないと思う。
仕方がないというのは、その洗礼のハードさが、医療として、人として、倫理的にどうなんだろうということも含めて、仕方がないと思う。
酷だなあと思う。
けど、やるか、やらないか、それだけなんだろう。
精神薬を辞めたい人は、一度とにかく自分自身を全否定して、自分がいかに愚かかを自覚する必要があるのだ。
一世一代の大反省をして、誰のせいにもせず、誰も責めず、とことん自分の在り方を見直す必要がある。
誰かにアピールする為の反省とは異なる。
自分自身を本気で変える為の、究極的で孤独な自己との向き合いである。
誤魔化しは効かない。出来ないなら自由は死ぬ。一生、他人の奴隷か、自分の感情の奴隷のまま。
崖から振り落とし、登って来れる者しか、育てられない。
例え恨まれようとも。
自分の身に降りかかる災難を、全て他人のせいにして自らを決して省みない人間を救うことは不可能である。
それらを摂理、道理として私なりに理解する。
とことん自分の今までの在り方の間違いを自覚して、いかに人として正しく矯正出来るか、否か。
それがその人の行き先の明暗を分けることになるのだろう。
薬だけ抜いても認知が歪んでいたら意味がないのだから。
人として年齢相応の大人として生きていかなくてはならないのだから。
中途半端に減断薬して、自我が暴走した人間ほど社会で取り扱いに困ることはない。
この本は、第二次世界大戦でアウシュビッツの強制収容所を経験した心理学者の手記である。
精神科病院の悲惨さは、この本に出てくる状況とあまりにも似ている。
しかし、全ての経験者に同情したり寄り添ったりすることは、実は危険を伴う。
精神科病院の善悪を語ることと、経験したその人に寄り添うことは別であるとした方が良いと思う。
この本の最後の方に出てくるような、「こんな大変な目に遭った自分が、どうして他人に気を遣わなければならないんだ、みんな不幸になってしまえ!」
というような思考回路の者もいる。
「世界中の皆が自分に優しくすべき!特別扱いすべき!それだけの経験をしたのだから!」
と思う者も、どうやらいるようだ。
法に則り自分なりに清廉潔白に生きているならば別に何も言うことは無いのだが、万一裁判や警察沙汰になれば不利になるのは自分自身である。
暴走を止められない者がいるのは困ったことだと思う。
精神科病院や精神薬から卒業するだけでなく、その人の反社会的な、独善的な、はた迷惑な言動が改善されてはじめて、快復というのだろうと思う。
希望ばかり語ることはしたくない。
だけど、それならばせめて、精神医療を、福祉をマシにしていきたいと思う。
私自身の神に祈りながら。


