こんにちは、日世観月余美です。
引き続き、ワタクシ組成のお話です。
【ワタクシ成分の解説 ②】
~物理的に心揺さぶられる~
さて、社会人も板についてきた頃、
心揺さぶられる事件が起こりました。
1995年1月17日 5時46分
阪神淡路大震災
当時、明石の実家にいたわたしは早朝からドサドサ揺さぶられる羽目に。
そう、物理的にたっぷりと!
幸い起床していて服も着替えていましたので、寝込みをやられたわけではなく。
家具も倒れず、家族も怪我なく。
たまたま断層の動いた方向とズレていたために、食器がいくつか壊れた程度の軽微な被害で済みました。もし断層がこっち向いてたら家ごとイチコロだったかも。
でね あの頃、兵庫県南部で地震が発生するなんて、わたし(とおそらく多くの兵庫県民)は思ってもいなくて、揺さぶりは精神面にも大きな衝撃でした。
震災後も
大地は小刻みに震え続けていたのか
2階にある私の部屋のブラインドは 、1年近くもカタカタと鳴り続け
近所の飼い犬はノイローゼになったまま ずっと鳴き続け
鉄道の復旧には 何ヶ月もかかり
街に増えた空き地は長い間そのまま。
震災の前と後で 私を取り巻く世界は一変したわけです。
この時 私は
ようやく思い知ったのですよ。
人間は ついうっかり死んでしまう、ということを
当たり前のことなのに
肚に落ちてなかった。
それで、自分自身にもそれを問わざるをえなくなりました。
自分もうっかり死ぬ可能性がある。
今の生き方でホントに良いの?
あれこれ考えをめぐらせましたが、残念ながらその時は大きく変わることが出来ませんでした。
結局 それから2年位して
当時勤めていた会社を辞めました。
会社は居心地の良いところでしたけれど、何かしらキリをつけたかったのです。
そのあとは
短いサイクルであれこれ やりました。
リスボンまで万博を観に行ったり
中国語も話せないのに上海で半年くらい働いたり
軽度のウツを経験したり
あちこちで派遣社員として働いたり(日本企業でも外資系でも)
その間
いろんな人のお世話になり
いろんな人に迷惑をかけ
自分の馬鹿さをあれこれ味わい
あー もうどうなるんだろー わたし?
と思いながらも年賀状の版画は続け。
変でしょう?
それだけはなぜか続いたよ。
そして再び知人のご縁で今の勤務先に転がり込み、東京に転勤。
シャカリキに働いて会社と家を往復するだけの暮らしを数年続け ようやく職場に馴染んだ頃
「心揺さぶられる事件 パート2」
が勃発します。
2011年3月11日 14時46分
東日本大震災
地震当日はたまたま仕事が忙しく
西新宿の高層ビルでぐーらぐーらと揺られながら私はモーレツに怒っていました。
私は忙しいんねん、このアホ地震!
忙しいのに邪魔すんな、ボケカス!
地震で怒る奴はあまり居ないかもしれません。ワタクシ自身も、怒っている自分を、ちょっとオドロキをもって眺めていたように思います。
まあその日はそんな感じで
プンスカ怒るだけで終わり…。
その後、震災後の心落ち着かない空気が東京にも色濃く漂っていることを感じた時、わたしは阪神大震災を思い出していました…
あ、もしかして 二回目 言われた⁈
人間はぼーっとしてるうちに うっかり死んでしまうこともあるんやで、って
そういう話やったよね。
これでええんか。って?
1995年に一回言われてたのに。
二回目、言われてしまった。
まずい…。
そこから、わたしはようやく重い腰を上げ始めるのです。
そして、仕事中に地震が起きると
ムキッ… ( *`ω´)
とくるのはその後もなぜか習い性に…。
=続く=

