いろんなとこは、
繋がっていて
この記事で
わたしの中にあるものを
わたしが迎えに行くような感覚で、書いた。
これまで
溢れるものや
湧いてきたもの
キャッチしたものを
たくさん
表現してきた
その中で、
最近、
ちょっとやそっとで
溢れては来ない、
湧いて来たりなんかしない、
そんなものが
わたしの中にあることに
気がついた。
きっと、
今だから、気づいたのだろう。と思うし
今だから、見れるのだろう。と思うのだけれど
そこに、
迎えに行こう。と思うと同時に、
なぜだか、
怖くてたまらなくなる。
まるで、
わたしが、
生まれ変わってしまうんじゃないか、と
そんな感覚を覚えるほどに。
そして、
「わたしの中に、
迎えに行こう」
その響きに
わたしの胸が震えて
泣きたくなるんだ。
この記事を書いたあと、
久しぶりに、
自分の昔の記事を読んだ。
溢れるものとはまた別に、
自分の中に
隠すものがあるのだ。
自分でも
無意識に。
波風立てないように。
もちろん、
全てを出すのが正解!とかではないけれども
自分の核たる部分というのかな。
結婚当初から、
疲れたよ。
それが、
上手く言えなかっただけな気もする。
上手く伝えられなかった気もする。
疲れるのに気が付かないほど、
頑張りたかったこと。
その中にあった気持ち。
上手く表現出来なかっただけな気がする。
片道2時間かけて職場に行き、
帰ってからご飯を作り、
イライラを肌で感じるのが嫌で
いつしか萎縮し
そんな中での触れ合いが苦痛になり
いつしか、
いや、最初だったからかなおさら
疲れたよ
が
言えなかったのだろうなぁ。
それが、
積もって行った。
ご飯がままならなくても、
家事がままならなくても、
仕事で帰るの遅くなっちゃっても、
わたしは、
お家が安心出来る場所なら、
笑っていられるなら、
笑っててくれるのなら、
それでよかったんだ。
それだけでよかったんだ。
ずっと
ずーっと。
結婚してようがしてなかろうが
実家だろうが
子ども達がいようが
ひとりだろうが
その空間で
安心して
笑ってられたら、
それだけでよかった。
ずっと
ずーっと。
旦那さんに爆発して泣き叫んだ夜 のブログを読みながら、
日曜日の体感や
今のわたしに積み重なったものとリンクするように
あのときの
泣き叫び声が
わたしの中にも響くようで
穴という穴、身体中から
感情がこぼれ出るような気がした
今、
こぼれ出る
溢れ出る
その出発点の
下に奥に
蓋をしたものを
置いてきたものを
迎えに行くとき。
それをして
癒したいのか
大丈夫。と言いたいのか
頑張ったね。と言いたいのか
ありがとう。と言いたいのか
抱きしめたいのか
分からないけれど
今、
今を生きるために
わたしを生きるために
わたしの中に
迎えに行くとき。

