いつも読んでいただいて感謝します。
アインの思い出の写真を載せています
『 どうしていいか分からない 』
久しぶりに貰った友人からのLINE
直ぐに会いに出かけました。
もう何年も
さくら猫さんのお世話をしています。
数年前のこと
庭に猫がいる、と聞いて見に行きました。
悪戦苦闘して捕獲し
2匹ともさくら猫さんにしました。
それからずっと
フードと水
そして医療のお世話をしてくれてます。
けれども触れるほどには慣れなくて
とうとううちの子には
出来なかった猫さんたちです。
背中合わせに建てられた家
猫たちが怒鳴られたり
水を撒かれたり
友人はどんどん
気持ちが落ち込んで
そして
『 どうしたらいいのか分からない 』
一緒に話に行くよ
地域猫さんのこと知らないのかもしれないよ
そう言っているうちに
今度は
猫避けなのか赤と青のライトが…
その点滅が
思いのほか強烈で
窓越しに夜通し見えて
彼女の気持ちを暗くするのです。
全ての人が
猫が好きだったり
犬が好きだったり
そんなことは無い…
それは知っているけれど
猫や犬に関わっていると
どうしても
突き当たる壁が出てきます。
話しても話しても
言葉はすれ違うばかり
「 野良猫は迷惑 」
何を言っても通じないのです。
もちろん考え方は人それぞれなのは分かります。
そして
その家に子どもがいると聞くと
更に気持ちは重くなるのです。
親が猫を怒鳴る
猫に水を掛ける
猫を棒で追い払う
間違いなく
子どもたちはそれを見ています。
……外にいる猫を
追いかけたり傷つけてもいいんだ!
邪魔な生き物なんだ……
そんなふうに思ってしまいませんか?
生き物への愛情を教えていきたい
どんな生き物にも
痛みもあるし
悲しみもあるよ。
そう教えたいけれど
身近な大人のやり方を
子どもたちは刷り込まれてしまいます。
( 子どもたちが見ていることを知って欲しいのです )
二学期になって
孫娘の授業参観に出かけました。
前日に
県の博物館へ行ったので
その感想を話し合うという内容でした。
『 何が心に残ったかな 』
先生の質問に
一人の子が手を挙げて
『 剥製にされた動物が
可哀想やった!』
『 皮だけになってた!』
この発言は先生には意外だったようで
『 可哀想やと思った人!』と
聞いたら
ほぼ全ての子どもたちが手を挙げました。
死んだ後
皮を剥がれて剥製として
展示されている姿や
ただの皮だけの姿を広げて
展示されている姿は
子どもたちには
残酷で可哀想と思ったのです。
学術的には有効な剥製も
子どもたちには
可哀想な見世物にしか
思えなかった…
子どもたちのこんなふうに感じる
気持ちを
大人たちが潰してしまってはいけないと
私は思います。
死んだ後
剥製にされて
人の目に晒される
それが大人には
(博物館だから)で
済んでしまっていたことに
私も初めて気が付きました。
子どもたちの思いもかけない感性に
行ってよかったなぁと思った
授業参観でした。
残念だったのは
帰り際に保護者会の人にお会いして
保護猫 保護犬について
お話したいと言ったのですが
少し話は
違うのですが
ペットロスを穏やかにすると
いう方法に
愛する子たちが亡くなったあと
剥製にする
『 剥製葬 』というのがあります。
生きていた時の姿を
とどめておきたい…
傍に置いておきたい…
ごめんなさい。
(剥製葬をされた方を批判するものではありません)
私は今まで沢山の子たちを
見送ってきましたが
『 剥製 』にして
飾っておこうと思ったことはありません。
その『 剥製 』になった子は
温かいですか?
ひんやりと冷たい体
生きていた時は
輝きに満ちていた目は
ビー玉のような無機質の目になります。
内臓を取りだし
防腐処理をして
詰め物をして…
その子は
地上にとどまりたいのでしょうか?
お空にその魂と肉体は
返してあげたいと
私は思います。
アインを亡くしたこと
それは胸が苦しくなって
呼吸が苦しくなって
毎日 思い出さない日は無いけれど
その姿は
たくさんの思い出と共に
私の心の中に残っています。
今はその思い出が宝物です。
アインの二回目の月命日に
お花をいただきました。
忘れないでいてくれるブロ友さん達に感謝です。
友人から貰ったチョコレート
カカオの国の子どもたち
チョコレートを食べたことの無い
子どもたちが一人でも多く
救われますように…











