追記・おとなしい子に支援は不要ですか?(誰のための支援?) | 鞍手町ピアノ•エレクトーン•リトミック•障がい児対応可レッスン 「みずま音楽教室」

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福岡県鞍手町でピアノ•エレクトーン•リトミック教室の講師をしています!
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音符福岡県 鞍手郡 鞍手町の音楽教室音符

みずま音楽教室



先日、お子さんのことについて、あるご相談者の方とお話しの機会を作らせて頂きました


お子さんは学校や通われている福祉施設でも「◯◯ちゃんはおとなしくて良い子ですよぉ〜。」


「お子さんのこと、ご心配し過ぎなのでは?」


と言ってくださるけれど、学校や施設から帰宅するとその子は大泣き…


ご相談者さまも「何で泣いているのか尋ねても分からなくて…」と


でも、ずっとお話しをお伺いしていますと、その子は色んなことを我慢して、頑張って、波風を立てないように必死に息を潜めていることが手に取るように分かります(この年齢で感じなくても良いことまで感じて理解をしている苦しさ…)


その子の表層から多くの大人の方々が『おとなしいから良い子』『物静かだから良い子』=『手のかからない子』と認識されていているから支援が手薄、又は“その子に合った支援”がなされていない状況なのです


その子にとって本当の理解者がいないことをご相談者さましか気づいていらっしゃらなくて、その苦しい胸をうちを聞かせて頂きました


ご相談者さまもお子さんもさぞ苦しいでしょうし、お辛いでしょう…お話しをお伺いして胸が痛くなりました


そして私にできることがあれば良いなぁ…と


いろんな人の視点や手や言葉、サービス・環境というサポートが入って、その子がその子らしくノビノビと生きていける世の中になってくれたら良いのになぁ…


その子のように『見過ごされてしまう子どもたちの存在と気持ち』をキャッチできる支援者が増えてくれたら…と切に願います


静かな子の中にも


明るい子の中にも


真面目な子の中にも


言葉を上手く発せない子の中にも


笑顔の子の中にも


テストの点数が良い子の中にも


何でも受け止めて


何でも請け負ってくれる子の中にも


気がきくと言われている子の中にも


責任感があると言われる子の中にも


SOSを発している子はたくさんいます


そして


暴れる子の中にも


暴言を言う子の中にも


物に当たる子の中にも


反発する子の中にも


嘘をついてしまう子の中にも


ただただ泣き叫ぶ子の中にも


全て人のせいにしてしまう子の中にも


自分を傷つけてしまう子の中にも


「不安です。」「わかりません。」「ごめんなさい。」を言えない子・それを言ってしまうと弱さを認め、負けだと思ってしまう子の中にも


自分ではどうしようもない苦しさを抱えています


自分の中で“どうしても分からないもう1人の自分”と戦って疲れ果てています


そういったお子さんの状況を察知するには多視点を持った人の存在、または多視点の数=見極められる人の数が必要だと思います


だからこそ、お子さんの支援は学校や福祉施設だけではなく、一つの習い事を通してそのお子さんの定点観測を積み重ねている『町の習い事の先生』こそ、その子の支援者にもなれるのだ、ということを行政・福祉・教育現場もそろそろ気づいて欲しいと強く思います



※世の中の全ての先生方や管理職の先生、

福祉の管理職の方がそうではありません

その点は誤解のないようになさってください


正直なところ、学校で起きたトラブルでさえも『学校の中でなんとかしよう!』に限界がきていて、そのことに気づいていない先生・管理職の先生が多過ぎる…と思います


学校で起きたお子さんの問題を管理職の先生が身勝手に『外の問題』にすり替えた実例もあり、実際に私はそれを経験しています


特別支援学級生への対応にも“えっ⁉︎その指導で大丈夫?それって虐待なのでは⁉︎”と思うことも実際耳にしています


素質として特別支援学級を担当すべきでは無い『一部の教師』が支援級を担当していること自体、その学校、又は管理職の先生が『特別支援教育』をどう捉えているのか?を表していると思います



『教職』というお立場・職業はとても尊いお仕事です


重責を担い、相当なストレスが掛かるお仕事であることも理解しています


教員の人員不足や職場環境の劣悪さなど(教師がしなくても良い仕事が余りにも多過ぎることなど)根本的な問題もかなり絡みますが、支援の視点と質+マンパワー…つまり余裕が全くと言って無いのです


そしてここも重大問題だと思うのですが…


失礼ながら大多数の学校では学校という聖域+教職という職業プライド(権威)故に、外部支援が入ることを強く拒む世界であることを痛いほど思い知らされます(支援会議が成立しないのもこの為。特に田舎は。)


そこに加え学校という世界は組織ですから更に手強い…(中で意見や提案を言う先生が居ようものならば、その先生を排除する動きすら一部ありますから)


だからさまざまな意味で『学校の中でなんとかしよう!』に限界がきているのです


学校の先生は(これは嫌味ではなく)『万能の神』ではなく『一人間』なのですから、『分からない』『困った』などのお悩みがあって当たり前だと思うのです


だからこそ、『大人の都合』や『職業プライドの壁』を取っ払って頂きたい!


これはイニシアチブの取り合いやマウントの取り合いじゃないんです


大事なことはソコではないのです!


それぞれの分野の支援者がリスペクトし合いながら対等な関係を保ち、知恵と知識と多角的な視点でサポートスクラムを組めば良いのです


それぞれの視点から得た『その子の情報』をそれぞれが共有しあって分析し合って支援を組んでいく…


みんなで

『その子のこと』を考えるのです


みんなで『その子にとって何が大事なのか?』を考えるのです


それが支援の連携であり、みんなで子どもたちを育てる『子育て』であり、それが『人を育てること』なのだと私は思います


【追記】


孔子がある祭典を任された時、「これはどうすれば良いか?」と先輩へ逐一聞いてまわった


その孔子の様子を見て「知るはずもないあんな田舎者(先輩)に誰が尋ねろと言ったのだ!人に聞いて回って(結局大したモンじゃないな)」と言った人に孔子はこう言った。


「それが礼だ。(丁寧に物事を進めていく手順だ)」と。



ある方の動画配信を拝聴していまして、その方が原発問題(汚染水の海洋排出)など、日本の政治(特に安倍政権以降)に欠けているモノはコレだと仰っていました


私もその通りだと思いましたし、そして学校というある種閉ざされた聖域のような場所とこの事は通じるのでは?と思いました


変わろう!変えよう!と必死に頑張っている先生方や教育現場は実際にはありますし、本当に有難いと思います


でも、変わらない部分が余りにも多過ぎるし、知らないことに対して知ろうとしない+面倒だと少しでも感じる物事には蓋をする慣例が多過ぎてて…(特に田舎は)


『誰のため?』がぽっかりと空いている気がします











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