小学三年生のお子さんのお話です(確か…アスペちゃんだったかな?)
『小学校に入って今まで20回のイジメや嫌がらせがありました。(本人談)
クラスの先生はその内の18回を説明をしてくれました。その18回はイジメや嫌がらせでは無かったかもしれないと思いました。』
ある日、残念な事にその子が感じた21回目のイジメや嫌がらせがありました
『でもこの21回目のイジメや嫌がらせは、これまでの18回と同じだと感じました。だからこれはイジメや嫌がらせじゃないと思って、◯◯君を許す事にしました。』
この子の自己決定のベースには、尊敬している先生の言葉が流れている
先生はその子に対して「そうか…あなたは◯◯君や◯◯ちゃんの言葉を聞いて“虐められた!”と、思ったんだね。
もしかすると、◯◯君や◯◯ちゃんはこんな気持ちで言ったのかもしれないね。」と、『他者の考え方』と言うある意味選択肢を伝えてあげ、絡んだ気持ちを紐解く様に説明してあげたそうです
そしてその言葉の意味が理解出来た時、その子に初めて新しい考え方の選択肢が生まれ、その中で自己決定が出来たのです
このお話を伺った時、ジーンとしてしまいました
理想ですよね
これが教育だな、と
ただ…私が実はとても気になる事は、その子にとって素晴らしい教育を与えてくれる先生がいなくなってしまった時のこと
現実問題として世の中は配慮があっても厳しい世の中です
だって健常者であっても踠いているのだから
色んな事を面白おかしく言う人もいるし、あなたの言いたい事は理解出来るけれど…それってきっついなぁ~と言う方もいるしf^_^;
その子にとっての強風や突風をも「これも社会だよ。こんな言い方をする人もいるけれどさ。」と知ってもらう事も大切かもしれない
そこを伝えていく事も支援かもしれない
その配慮や支援の手が、合理的配慮のそもそもの目的である社会参加を支える目的であって欲しいと願います
それにしても…
素晴らしい先生との出会い、素晴らしい導きによってその子が様々な事を学び、それを力にしていく
私は田舎町の小さな音楽教室の講師だけれど、こんな素晴らしいお話を伺えた事で、「こんな先生になりたい!」と思い、背筋がピンと伸びました!
子ども達に音楽の楽しさを伝え、生きていく力を教えてあげたい!
そんな感動の最中に起きたボヤ騒ぎ…
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ある意味燃えたセミナーでしたf^_^;