以前の記事 私の興味関心1
に続いて、2つ目の興味関心は劇団四季です。
私は物心ついた頃から、劇団四季のファンである母に連れられて、四季の舞台をよく観ていました。
初めて観たのはまだ小さかった頃のことなのでよく覚えていませんが、強烈に記憶しているのは10歳の時に観た「夢から醒めた夢」です。
私は感情を言葉にすることに苦手さを持っているので(国語~読書感想文~
)、何がどう良かったのかがうまく言えず、自分が楽しかったのか、嬉しかったのか、喜んでいたのか、それさえも分からないのですが、ただ自分がとても興奮していたことだけはよく覚えています。
その日以来、私はすっかり四季が作り出す世界にハマってしまいました。
「1年に最低1回は、前売り券の発売初日にS席のチケットを買って四季の舞台を観る」という私の習慣は、この時から今までの20年間ずっと、変わらず続いています。
ある日、この劇団四季に関することで、私は大パニックを起こしました。
その日は、マンマミーアというミュージカルを、私、夫、私の母、私の友人の4人で観劇し、まだ2歳だった息子は四季の託児サービスを利用する予定でした。
そして当日、私にとっては全く予想外の出来事が起こりました。息子が熱を出してしまったのです。
この時、夫も母も、「自分が看病するから、舞台を観に行っておいで」と私に言ってくれたのですが、私は「私が看病するから」と断ってしまいました。
熱を出している子どもを置いて遊びに行くことがとても悪いことのように感じて、どうしてもできなかったのです。
息子が心配という気持ちも勿論あったのですが、今思えば、罪悪感の方が大きかったような気がします。
我慢することはいつものこと、私は全く平気なつもりでいました。
息子と家で二人きりで過ごしていても、悲しいという気持ちはあったけれどイライラすることもありませんでした。
けれど自覚のないままに、ストレスバロメーターの数値はぐんぐん上がっていたようです。
夫が家に帰ってきて、何一つねぎらいの言葉がないことに苛立った私は、まるで時限爆弾のように突然、大爆発を起こしてしまいました。
この時の私のパニックは、様々な要因が絡み合った結果だったのだろうなと思います。
子どもが熱を出したこと、それは私にとって青天の霹靂の出来事でした。
子どもというのは突然熱を出すものだということは知識として知っていましたが、それまでの約20年間、私は突然の出来事で舞台が観られなかったことが、ただの一度もありませんでした。
そのため、「四季の舞台が突然観られなくなる」という未経験のことが、想像できていなかったのだと思います。
もしこれが映画やテーマパークなどのレジャーであれば、子どもが元気になってから行けばいいという安心感もあるのですが、四季のチケットはすぐに売り切れてしまうことも多いため、次はいつ観に行くことができるのか分からないという気持ちも、私の不安を増大させたのだと思います。
また 四季の舞台だけがこの日のストレス要因だったのではなく、それまでの日々の生活のストレスも自覚のないままにたまっていたのかもしれません。
この時息子はまだ診断は受けていなかったので障害については知りませんでしたが、多分育児ストレスは大きかったのだろうと思います。
ある調査では、自閉症スペクトラムの子どもを育てている保護者と、他の障害の子どもを育てている保護者のストレスを比較すると、自閉症スペクトラムの子どもの保護者の場合、平均して約3倍のストレスがかかっていたのだそうです。
(おそらく、子どもの育てにくさだけではなく、周囲の人たちとの様々な関わりが、大きなストレス要因になっているのだろうなと思います)
この日大爆発を起こした後、私は自分がどうやって過ごしたのか、全く覚えていません。
多分その日は散々泣き叫び、あとは日にち薬でイライラが治まるのを待っていたのだろうなと思います。
日にち薬とは言っても、この苦しい気持ちは、普段は忘れていても何かのきっかけでフラッシュバックします。
私はフラッシュバックが始まると、その時の映像が脳内再生されるのですが、当時の感情までもまるでその場にいるかのようにリアルに思い出して再現します。
そのため、時間の経過とともに悲しい気持ちが薄れる、ということはありません。
何度でも何度でも、繰り返し同じ出来事で傷つきます。
私の場合、フラッシュバックは、なぜこの出来事が起こったのか?、自分の中で納得できる理由を見つけない限りずっと続きます。
なぜあんなにも傷ついたのか? なぜパニックを起こしたのか? もし他人が関わる出来事であれば、あの時、相手は私に対してなぜあんな行動を取ったのか?
自分の特性に基づいた解説や、相手や自分の心理など、心の底から納得できるだけの自分なりに論理的な理由が見つからなければ、終わることができないのです。
納得できる理由を見つけた時に初めてその出来事に終止符を打つことができ、フラッシュバックも止まります。
もちろんその後も思い出すことはあり、苦しかった感情も覚えているのですが、たとえ思い出したとしても、フラッシュバックのようにその苦しみの感情に飲み込まれることはなく、ただ淡々とただの記憶として再生されるだけなのです。
夫は、爆発する私の姿を見て「だから、僕が子どもの面倒を見ているからって言ったのに」と言いましたが、当時の私には、病気の子どもを置いて遊びに行くという選択肢はありませんでした。
私はこの日、夫からのねぎらいの言葉がないという事実がスイッチとなって大爆発を起こしましたが、もし自分の辛い気持ちに共感して「お疲れ様」「大変だったね」といった言葉をかけてもらっていたら、また少し違う結果にはなっていたのかもしれないなと思います。
以前 ゲームに勝ちたい!
の記事に書きましたが、もし辛い気持ちに共感する言葉をかけてもらっていたとしても、やはり爆発は起こしたのかもしれません。
それでも、自分の気持ちを分かってもらえたという安心感は残り、何年にも渡って苦しい気持ちを引きずることはなかっただろうなと思います。
あの日以来、私は今までずっと、マンマミーアの舞台だけは観劇することができません。
母は何度かマンマミーアの舞台に誘ってくれたのですが、フラッシュバックを起こすことがとても怖いのです。
けれど、今日こうしてブログに書くことで、私はなぜ自分がパニックを起こしたのか、何が引き金だったのか、私はあの時周りの人にどんな対応をしてほしかったのか、整理して考え、自分なりに納得することもできました。
もしかしたらこれから少しずつ、フラッシュバックは減っていくのかもしれません。
もしマンマミーアがまた関西で上演されることになったら・・・、
その時には、フラッシュバックを怖がらずに観劇する勇気を持つこともできるのかもしれないなと思います。
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