鳥濱トメさん、
鹿児島県の知覧(ちらん)飛行場の近くで
富屋食堂という食堂を営んでいた方です。
太平洋戦争末期、「富屋食堂」は帝国陸軍の指定食堂となります。
トメさんはその面倒見の良さから、
陸軍の隊員達から『お母さん』と慕われていたそうです。
その後、戦局は悪化の一途をたどり、
昭和19年、ついに「神風特別攻撃隊」が編成されることになります。
悲しいことに知覧飛行場は、その出撃地として選ばれます。
「神風特別攻撃隊」について簡単に説明します。
太平洋戦争末期、勝算の見込みが危うくなってきた日本が、
軍用機などに爆弾を大量にのせ、
片道の燃料しか入れず、
敵艦船等の目標に乗組員ごと体当たりする戦法で、
突入=『死』を意味する作戦です。
突撃の前日、
二十歳前後の青年達は家族に向けて遺書を書いたそうです。
鹿児島の知覧という場所にある記念館には、
国のため、家族のために、
命をささげた青年達の遺書が展示されているそうです。
下記の話は、実話でいろいろと映画化されたりしているので、
御存知の方も多くいらっしゃると思いますが、
私が『生きること』とか『生かされること』について改めて考えたように、
あなたにもそんなきっかけになるのではないかと思い取り上げてみました。
登場する宮川三郎さんは当時二十歳、
特攻隊に配属された青年だったそうです。
特攻な母~鳥濱トメさんの話~
宮川三郎さんは出撃の前夜、
わたしのところにあいさつに来られ、
『明日わたしは沖縄に行き、敵艦をやっつけてくるから、
帰ってきたときには、
宮川、帰ってきたかと喜んでください』
と、言うので、
『どんなにして帰ってくるの?』 と尋ねたら、
『ホタルになって帰ってくる』
と言うのです。
そしたら、
約束の時間にホタルがやってきたんです。
富屋食堂の裏に小川が流れていたんですが、
そこに一匹の大きなホタルがやってきて、
白い花にとまったのです。
本当に大きなホタルでした。
思わず、みんなに、
『このホタルは、宮川サブちゃんですよ』
と言ったのです。
そして、みんなでそのホタルを見ながら『同期の桜』を歌いました。
~Today's self coaching~
あなたにとって、
”自分の人生を精一杯生きる”とは、
どんな生き方をすることなのでしょうか?
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