こんにちは! 小川由佳です。
前回の記事に引き続き、
「素敵女性の『私らしい生き方』 中橋佐知子さんのストーリー」
その2です。
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2歳になったとき、佐知子さんは、曾祖母の煎じ薬をスカートにひっかけてしまったことがきっかけで、下半身に大やけどをする。
ひきつけで30秒間、心臓が止まり、生死の境をさまよった。
(佐知子さん)
この時、母は、「この子が死ねば、私は、実家へ帰ろう!」と決めたのだそうです。
その後、一命を取り留めた私を見て、今度は、母は、「この家の女中でいいから、この子が社長の娘でいられるよう、この家にとどまろう」と決心したのだそうです。
物心がついた頃、この話を聞きました。
母は、それらの話を何気なく私に言ったのだと思いますが、今思えば、それらの言葉が呪縛となったのかなと思います。
それ以来、私は、「実家に帰してあげられなかった母を、なんとか幸せにしなければいけない。母のためにがんばらなきゃ」と思うようになっていたのかもしれません。

その後も、お父さんの浮気、お祖母さんとお母さんとの確執、お母さんの愚痴など、佐知子さんは、家族の事情に振り回され続ける。
(佐知子さん)
祖父が亡くなった後、今度は、祖母と父が夫婦のようになりました。
祖父が亡くなって、「さみしい・・・」を連発する祖母に、不器用な父が寄り添って・・・。茶碗も、祖母と父とで夫婦茶碗。
ちょっと屈折した親子関係に見えました。
母が入る余地はなく・・・。父と母の関係は同居人のような感じでした。
(佐知子さん)
母からは、「死なへんかったから帰るのを諦めた」「私の夢は家出すること」と言われました。
小学生の私は、常に「お母さんが家出したらどうしよう」と怯えていたのを覚えています。
父のことは大好きでした。かわいがってもらったし、中学・高校の頃、演劇をしていた私が劇に出るときは、父がいつも見に来てくれていました。
でも、父に女性の影が見えるようになり・・・。
現状に耐えられない母が、我慢できずに吐き出す言葉を、私が受け止めるしかありませんでした。
家から一歩出ると、周りの人には、私は幸せだと思われていました。ええとこの子だから幸せだと。
実際、どこに行っても、「○○さんちの子」と言われました。高校生の頃、区役所でアルバイトをしていたら、昼休みに、区長さんが挨拶に来たこともあります。
周りから見たら幸せ。だから、「自分は幸せだ」と思い込んでいました。
一方で、「決められたレールを正しく走らなければいけない」という感じがあり、「私は、このままいけば、名前を呼ばれずに人生を終わってしまうのかな」という恐怖がありました。
その後も、まさに最近まで、心の中での葛藤は続く。
(佐知子さん)
自分の経験から、人の生き方は、過去の環境が大きく影響するなあと思います。
過去の環境とは、自分の代だけでなく、自分の前の代まで遡って起こったことも含めて。
私の場合だったら、祖父母の(それこそ幼い頃からの)葛藤、両親の葛藤までもが、私の一生に影響を与えているなと感じます。
だから、私は、セッションの時、その人本人のことだけでなく、両親や祖父母のことについても聞くんです。
人間って、過去に起きたことで形作られているから。そして、基本、過去に経験したことの範囲でしか、物事を見ることはできないと思うから。
そんな子供の頃の経験を持つ、佐知子さん。
仕事や結婚、子育てについてはどうだったのだろう。
(続く)
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