父のことで、連日励ましの
コメントやメッセージをいただいています。
温かいお言葉の数々に励まされます。
本当にありがとうございます。
一昨日、父の葬儀を無事に
終えることが出来ました。
父が亡くなる前に涙腺の機能を
使い果たしてしまったようで、
お通夜〜告別式〜火葬/骨上げまでは
号泣することもなく、淡々と
こなすべきことをこなした感じです。
父は家がとにかく好きだったので、
お通夜も告別式&火葬の前後のお参りも、
お世話になっているお寺の住職さんに
来ていただき、全て家で執り行いました。
父はキャラが濃いめで
言いたいことは相手が誰であろうとも
忖度せずにはっきり伝えるタイプ。
世渡りが上手いわけではなく、
万人に好かれるタイプでは
なかったのですが
一方で、頭が良く、柔軟に物事を
考える部分も持ち合わせていたので、
親族の中では
「何かあった時に真っ先に相談したい人」
として頼りにされていたようで
色々問題はあった父だけど、
なんだかんだ、みんなから
頼りにされて愛されていたんだなぁ‥
と感じて胸が熱くなりました。
ちなみに、親族から聞いて
面白かったエピソードは
父から見て甥っ子、姪っ子にあたる
方々(私の従兄弟)が
青春時代に悩んだら、なぜかみんな
父のところに相談しに行ったり、
単身赴任をしている父のところまで
遊びに行ったりしていたこと。
従兄弟曰く
私の父ならどんな話でも
決めつけずに話を聞いてくれて、
かつ本質的なことを教えてくれそう
だと思ったのだとか。
確かに、父は一見堅物で近寄り難い
雰囲気はありますが、意外に考えが
自由というか、若い人の感覚とか発想を
尊重して話す部分もあったんですよね。
父に関するエピソードを親族から
他にもたくさん聞くことが出来、
私にとってはそれが何よりの
宝物になりました。
父の健康不安については
ずっと前から分かっていたことでは
あったのですが
母から聞いたところ、
2021年1月に父が人間ドッグを
受けた時点で「1年以内に
大動脈流が破裂する可能性は40%」
と言われていたそうです。
そういった意味では、
父と母の間では今回のことは
想定の範囲内。
父は生前、自身の
最期について
自分の体の状態からして、
最後は大動脈流の破裂で救急車で運ばれて、
鎮静剤を打ってから数日後に亡くなるだろう。
病院では外科的な手術を勧められるだろうが、
それをしても後々身体の違う部分に
支障が出る&そもそも病院に運ばれた
時点で自分の体は手術に耐えうる
状態ではないから無理だと思う
と話していたそうですが、
今回まさにその通りになった形です。
父が倒れてから亡くなるまで3日。
もっと生きて欲しかったという
想いもももちろんありますが
倒れるその日まで家で母と過ごし、
入院中もずっと家族に囲まれて、
自分が思い描いた通りの最期を
迎えられた父は幸せだった
と思うし
母がまだ元気な状態で
父をフルサポートでき、
かつ私も育休中ですぐに
実家に帰省することができた&
しばらく滞在出来る状態にあったので
残された家族としても、一番いい形で父を
送り出すことができたのかなと思います。
唯一心残りがあるとすると、
父に成長した息子の姿を見せられ
なかったことくらいですが‥
直接会えない分、父とは毎日のように
オンライン通話をしていたし
父が倒れた日の前日はちょうど
保育園の面談日だったのですが、
その日に支給された通園用の
黄色い帽子を息子に被らせた
写真も見てもらえたので
最後に見てもらえた写真
父に対して、
「もっと〇〇しておけばよかった」
という後悔はないです。
いつか親はいなくなる。
そう頭では分かっていても、
「その時」にならないと
覚悟なんて出来ないし
する必要もないと思う。
そうじゃなく、
いつか必ず来るその時のために
可能な限り日常的に
コミュニケーションを
取っておくこと。
伝えたい言葉は
来ないかもしれない明日じゃなく
今日伝えておくこと。
これが私たちが出来る
唯一にして最大のこと
じゃないかなと思います。
9.11同時多発テロの追悼集会で
朗読されたというこちらの詩。
アメリカ人女性が10歳の息子さんを
失った悲しみの想いを綴ったもので、
ご存知の方も多いかと思いますが、
共感するところが多かったので、
最後に一部ご紹介しておきますね。
*ネット上で特別公開されている内容より一部抜粋
「最後だと分かっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック
訳・佐川 睦
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
(中略)
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
このタイトルの原文は
Tomorrow Never Comes
明日が必ず来るとは限らないから
大切な人がいるならば、
今日あなたが出来ることを
してあげてほしい
そう思います。



