言い訳の仕方、言い訳の手放し方 | 声と波動の取説!グッドバイブスに、本領発揮の人生を!

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『グッドバイブスに、本領発揮の人生を!』

いやー!
家庭モードに入った、入った、
入ってました!



めまいのひどいオットの送り迎え、
朝、夕、こどもたちの面倒、

ギックリ腰の父の手当て、



ここのところ家庭モードで、
自宅では仕事モードに入れない。



と、言い訳してた。



まぁ、だから何、なんだし、
やりたくてやってたんだから
いいのだけれど、


どこかで、
これでいいのか?と、
警鐘が鳴ってた。




こどもたちは楽しそうで、
嬉しそうで、



わたしは、
今はこれでいいんだ、と、
進まないのを言い訳して。



この言い訳、ってのがだめなんだ、
ってことは、分かってた。



だって、言い訳、なんだよ。



言い訳、ってことは、
何かに対して、
罪悪感とか、後ろめたさがあるってこと。



止まっているメール、
止まっている配信、発信、
やるはずの件のスケジューリング、


やりたくないなら、やらなきゃいい。
前向きに、やらない、を選択したらいい。



なのに、なぜ、
だって仕方ないじゃない、と、
言い訳を加えるのか。



それは、
自分の中で、納得がいってない、ということ。

やらされ感、
選ばされ感、



仕方がないこと、なんて、
何もないのに。



わたしは、
めまいのひどい
オットの送り迎えをしたかった。

なぜなら、
きつそうだから。

そして、楽になることが分かってるから。
それが、嬉しい。




わたしは、
こどもたちに、
ご飯を作りたかった。

こどもたちはわたしのご飯が大好きで、
きついオットが作るより、
わたしが作った方がいいんだもの。



わたしは、
朝6時半に、
こどもたちとの散歩をしたかった。

わたしが行かなかったら、
オットが無理していくし、
散歩のこどもたちは可愛かった。



わたしは、実家に通いたかった。

手当てすればするほど、
父の調子は目に見えてよくなってたんだもの。



全部、全部、
自分で選んでいたこと。




そしてその上で、


あれができてない、
これができてない、
これじゃモードに入れない!と

毎日家庭モードで過ごしてた。




でもやっぱり、このままじゃいやで。


でもやっぱり、
家庭は大事だな、と、
改めて実感したし、


でもやっぱり、
わたしは、
ざ・家庭思いの主婦、にはなれなくて。
(皮肉じゃないよ、ちょっと残念でもある)



オットにとっては、
理想的な家庭像、
家族皆が、一緒に過ごす毎日。

母が母として機能する家庭。



でも、やっぱり、
わたしには、やりたいことも大事で。


オットもわたしも、
それは分かってる。




で、



どっちも手に入れるには、

モードに入れないとか、
優先させてるからとか、
言い訳、とか、


そんなこと、
ほんっっっとにどーでもよいはずで、


ほんっっっとに、
んなことにつべこべ言うくらいなら、
やなことやめたらいい、話だし、


どれもこれもなら、
どれもこれも取る方法を、

 勢いよく、
選んでいかなくちゃいけないんだ。




わたしは、
生温く、言い訳してた。



と、いうことを、
大事なこととともに、
感じたのでした。




もしもいま、

家庭や、
お金や、
こどもや、
オットや、
親や、
環境や、
実力や、
能力や、
チャンスや、


何かを理由に、
仕方ない、と言い訳してることがあるなら、


潔く、
今は、これを選びたいんだ、
優先させたいんだ!
これでいいじゃない、これが、いいんだ!と、

心から叫べばいい。



そしてもしもそれが嘘なら、
そんなことを理由にするのはやめよう?

打破する方法を考えよう?



じゃなきゃ、
ずっと、ずっと、ずっと、

もやもやしたまま時が過ぎるよ。




わたしはそれに気づいたから、
またここで、
選択を重ねて行こうと思います。



ともに、ココロオドル人生を!