私は、私の好きなものを知っていて。
私は、私の好きなひとを知っていて。
私は、私の好きな場所を知っていて。
私は、私の好きな音を知っている。
なのに私の生活は、好きなものと、嫌いなものと、避けたいものと、ねばならないものでごっちゃに構成されていて、
たくさんの意識とエネルギーを、
避けたいものをいかに避けるか、あるいはいかに受け入れるか、やりこなすかに注力している。
そうしていつしか、
反応が鈍くなっている私がいる。
そうだ。
私はなんてたくさんのものを抱えて握って生きていこうとしていたのだろう。
手に持てる範囲は限られているのに。
手に持てる範囲は限られているのに。
たくさんのモノ・ヒト・コトに手を出そうとして。
たくさんのモノ・ヒト・コトを得ようとして。
私はどうしてそれを選んでいるのだろう。
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今日は朝から車のバッテリーが上がり、
こどもたちの病院もあって結局お休みを頂きました。
緑を見ながらぼんやりと考えていると、
そんなことがふわふわと頭の中をよぎりました。
そういえば釘宮さんから、
自由な私で自分らしく生きるには、
心地よいモノ・ヒト・コトだけにすればよいと言われたことを思い出しました。
私は自分の心地よさと感性を知っているのだから、と。
その時のセッションのメモを見ると、こうも書いてありました。
感じたことを、そのまま伝えたらいい。
あぁ。
私はなんて、
たくさんの雑多な情報や思考で自分を塗り固めようとしていたんだろう。
私はなんて、
優先順位をつけずにたくさんのモノを握り締めようとしてきたのだろう。
今日はそれがくっきりと見えて、
すごく、すごく自分の周りがごちゃごちゃとして見えて、
何だか少し、分かった気がしました。
もっと好きなものに意識を向けよう。
もっと心地よさを感じよう。
嫌なものは「ほぉそうか」で嫌なんだなーと感じて流せばいいじゃない。
何なら捨ててしまえばいい。
やりたくないなら、やらなきゃいい。
物を捨てよう。
意識を向ける対象を、好き、心地いいものに変えよう。
そんなふうにじんわりとじっくり思えた一日でした。