毎年8月15日に、この記事をアップしています。
ご一読ください。
祖父が戦争に行ったのは70年も前の話になるのだろうか。
赤紙が来て、祖父は当然のように中国へ渡った。
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ある日のこと。
休日に村をぶらぶらしていた祖父は、
何かただならぬ気配を察し、木陰に身を隠しながら覗いてみた。
そこには大勢の人が集まっていた。
中央には武器を持ってがたがたと震える若い兵士たちと、
怒鳴りつけたきつける上官。
その武器の先には、死を目前とした村人、
そして周りを取り囲む何もできないその家族・友人たち。
そう、それは南京虐殺のワンシーンだった。
殺せと命令する上官たちに怒鳴られ、
怯えた不慣れな若者たちは中途半端に切りつけた。
結果痛みに苦しみながらたくさんの人が倒れていく。
残った村人たちは強制的に穴を掘らされていた。
墓用の穴だ。
上官はできあがった大きな穴に殺した人々をほおり込みませ、
そして、上から土をかけさせた。
日本兵が去った後、村人たちは泣きながら穴を掘り起こし、
まだ息がある人たちを助け出そうとしていた。
出て行ったら自分が殺させられる。殺される。
そう思った祖父は最後の最後村人が去ってしまうまで、
恐怖に震えながらじっと身を潜めて見続けていたという。
どれほどの怒りと悲しみがその場を埋め尽くしていたのだろう。
祖父は長い間動けないでいた。
それからの休みというものは、
宿舎の部屋から出らずとにかくひっそりと過ごすようにした。
またその頃から、失踪兵が急激に増えたのだそうだ。
初めは脱走かと騒ぎになったが、
その数が不自然に増え続けるにつれ村人たちに殺されたのではと噂された。
その後、祖父は南の島へと移動することになった。
中国からは引き揚げとなったのだ。
そして太平洋戦争が始まる。
長時間にわたる船での移動を経て、
祖父の一隊はある島へ到着。
隊員に縦に二列に並べと指示が出た。
岸近くに並んだ者は、この島で降りろ。
残りの者は次の島へ行く。
島側に立っていた祖父はその時心の中でため息をついた。
ここは激戦区。次の島は戦区からは離れた平和な島。
あっち側に立っていればよかった・・・。
もちろんそんなこと顔に出すことなんかできない。
指示通りさっさと船を降りた。
だが、これが最初の運命を分けることになったことを知ったのは、
ほんの翌日のことだった。
島で別れた数時間後、次の島への移動中にその船は攻撃を受け、全滅。
二列の分かれ目が生死の分かれ目となった。
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その後新しい派遣地での生活が始まった。
祖父は動物がたいそう大好きで、
それを買われて隊長の馬係となった。
そのため攻撃を受けている間は、
馬の傍についてなだめる係という、恵まれた役回りについた。
おかげで前線からは遠のいていられる。
それは祖父が生きて帰ってこれた大きな要因の一つであったに違いない。
もう一つ、隊長の馬係をしている上で役得があった。
それは『煙草』
当然、一介の兵士には煙草なんて手に入らない。
だがどこから調達しているのか、隊長はいつも煙草を吸っていた。
煙草は一切吸わないものの毎日毎日こっそりと隊長の吸殻を集める。
そしてそれを隊員に配るのだ。
もちろん物々交換が当たり前のこの世の中。
交換するものは・・・何と饅頭だったという。
大の甘党だった祖父は、こうして皆から饅頭を集め、煙草を供給していた。
煙草好きが多い中、それはそれは大人気だったそうだ。
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激戦区と言われていたその島では、過酷な日々が続いていた。
これまで話をしていた隣の隊員が急に静かになったなと思い振り返ると、
頭が吹っ飛んでいたこともあったらしい。
常に死と隣り合わせの生活。
それが戦争というものだった。
祖父が生き長らえた理由はもう一つあった。
祖父には特殊技能があったのだ。
それは、ガスに関する知識。
匂いをかいで、それが毒ガスなのか、どこからきているのか、
どうすればいいのか、とにかくガスに関する知識を徹底的に仕込まれていたのである。
久留米の方に訓練場所があったらしい。
仲間には、訓練中に目がつぶれるもの、
肺をやられるもの、毒ガスで死んでしまうものなど、
訓練を終える前に命を落とした者も少なくない。
生きて訓練を終えた祖父は何かと優遇されたのだと言う。
例えば突き進む時、隊員は三人一組となる。
一人目は、地雷を踏む恐れがある。
敵が身を潜めていて突然襲われる場合もある。
一人目が慎重に道を選んでは進み、
二人目、三人目が一人目の足跡を辿ってついていくのだ。
一人目が地雷にやられた場合、もしくは潜めた敵に襲われた場合、
残りの二人は速やかに撤退する。
また三人目は、一番後ろを歩くことになる。
敵は前から襲うとは限らない。
隠れてやり過ごし、
背後から攻撃するもあれば挟み撃ちだってありえた。
後ろから襲われた場合は、
一人目、二人目はとにかく前へ前へととにかく逃げる。
つまり、二人目が一番安全なのだ。
祖父は、常に二番目だった。
ガス訓練を受けた者は少なく、失いがたい貴重な人材。
特殊訓練を受けていたからこそ、
一番安全な位置を確保できたのだと言う。
襲われた時にはすぐにキャンプ地に戻ってくるなという厳命が出ており、
さまよいながら敵を振り切り、
数日間かけて戻るのが当たり前の日々。
どんな気持ちで祖父は過ごしていたのだろう。
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ある日、大掛かりなキャンプ地の移動を行うことになった。
いわゆるお引越だ。
ちょうどその時、隊長の馬が怪我でもしていたのか動けない状態にあり、
馬係でもある祖父は馬の回復を待って隊に追いつくように命令され、
怪我人と共にしばらくその地にとどまることとなった。
場所は南の島。
薬もきれいな水もないその場所で、
怪我人は回復することの方が少なかったそうだ。
幸い、馬は元気を取り戻し、
回復した幾人かの隊員と共に祖父は新しいキャンプ地へと向かった。
その途中のこと。
別の日本兵の隊とぶつかり、お前たちはどこの者か、
何をしているのかとその隊の隊長に聞かれ、
祖父たちは所属と現状を説明をした。
そこで信じられないことを聞いたのだ。
そう、それは所属隊の全滅。
馬の介抱がなければ、
祖父も生きて帰ってくることはなかったということになる。
ここでも祖父は、命をつなぎとめた。
そして所属隊を失ったため、その隊に拾われることになった。
この隊の隊長との出会いが、運命を決めたのだと祖父は語った。
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島での生活が長くなってくると、
弾も切れ、戦えない状態となってしまった。
とにかく、生き永らえねば。
隊長は、戦いを捨て南の島で生活を営むことを決めた。
隊長はまず、各隊員の元々の職業の聞き取りを始めた。
兵隊になる前は、農業をしていたもの、
畜産、大工、料理など、皆それぞれの仕事を持っていた。
中には酒造りや、床屋というものもいた。
隊長はそれぞれの職業を元に、各人に仕事を割り振った。
農業をしていた者は、野菜を植えろ。
食べるものを育てるように指示。
大工屋には、住処を作らせた。
食べ物屋には当然コック担当、仕立て屋には服を作らせ、
何も役にたたない上官等には、力仕事を担当させた。
手の空いたものには動物を探しに行かせた。
殺すな、生きて連れてこい。
それとともに飼育する環境を作った。
床屋には、床屋の仕事をさせた。
身だしなみがすさむと、心がすさむ。
床屋は皆の髪を切り、毎朝、全員の髭をそった。
隊長は自ら率先して働いたと言う。
当時上下関係の厳しい軍隊では、珍しい隊長だった。
そんな隊長だからこそ、隊員はついていくことができたのだろう。
そんなこんなで、南の島での生活が始まった。
家を作り、畑を作り、動物を育てる日々。
隊長は、暑苦しい軍服は脱ぐよう指示した。
戦争だからと、誇り高き日本軍の軍服だからと言っても、
南の島での生活にはおよそ不向きだからだ。
パラシュートはもはや不必要。
仕立て屋は木の皮で繊維を作り、
パラシュートを使って皆の服を作った。
南の島で生活をするにあたって、重要なことが一つあった。
それは、現地民との交流。
ある日隊長は皆に聞いた。
「言葉に精通した者はいないか」と。
ある隊員が手を挙げた。
精通しているわけではないが、興味がある、と。
隊長は彼にこう指示した。
お前はとにかく島民に溶け込んでこい。
我々には南の島での生活のノウハウがない。島民はいい先生だ。
言葉を覚え、信頼を得て、いろいろなことを習ってこい。
指示通り、彼はちょくちょく村に通うようになった。
そしていつからか村に入り浸っては島民の仕事を手伝い、
言葉を覚え、信頼を得るようになった。
そこから島民との交流がスタートしたのだそうだ。
次第に島民たちも心を開いてきていた。
そんな中隊長は、
常日頃から隊員全員に厳しく言い渡していたことがあった。
島民に危害を加えるな。
物を盗むな。
これだけは必ず、守れ、と徹底していた。
そんなある日のこと、事件は起こった。
一人の隊員が、島民から盗みを働いたのだ。
しかも盗む時に暴行を加えたとのこと。
それを聞いた隊長は、
村までその隊員を引きずっていった。
そして暴行を加えた島民の目の前で
突然その隊員を殴りつけた。
隊長はその後も殴り続け、
最後には島民がもうやめてくれとすがるほどだったという。
それほどにその隊員を痛めつけ、
最後に隊長は深々と頭を下げた。
本当に申し訳なかった、
もう二度と、このようなことはさせない、と。
これが、島民の信頼を固めることなり、
島民と隊との友好関係が築かれることになった。
野菜を育て、パンを作り、島民に売る。
代わりに島民から、別の食べ物を得る。
酒を造り、それも売っていた。
酒を目的に村の女たちが隊員に身体を売るといった売買も成立していたらしい。
南の島での生活のノウハウを島民から習い、
自分たちが持っているスキルを伝授する。
そこには確かな交流があった。
だが、そんな生活にも終わりが来る。
終戦だ。
各地には終戦を知らせるビラが飛行機でばらまかれた。
それを読んだ各隊では、自害をした者も少なくない。
場所によっては、国に帰ることは恥ずかしいことだと、
自害を強要された隊もあったという。
祖父の隊でも、自害の声が数多くあがった。
お国のために死ねなかったのに、おめおめと帰れるか。
鬼畜米兵の手に落ちるなど、そんな辱めが受けられるか。
それならいっそ死んだ方がましだ。
今にも自害しそうな若者たちを前に、隊長はこう言った。
死にたいやつは死ねばいい。
だが、俺は死なない。
ここで死んで何になる。
お国のため、天皇陛下のためと言うが、
ここで死んでもそれは単なる犬死ににすぎない。
ここで日本の男たちが死んでしまえば、
終戦後誰が日本国を立て直すのだ。
これからの自分たちの役目は、
日本国を立て直すことではないだろうか。
どんな辱めを受けようとも、俺は生きて日本に帰る。
生きて帰ってお国のために、
一生懸命働いて、日本国を立て直すのだ。
そう思うやつはついてこい。
生きて日本に帰ろう。
終戦の知らせを受けて
一体どれだけの日本人が自害の道を選んだことだろう。
この隊からは、結局一人も自害者が出ることはなかった。
祖父は、隊長のおかげで今を生きることができている、
と何度も口にしていたと言う。
結果祖父たちはアメリカ軍の捕虜となり、
隊は島から撤退することになった。
それを知った島民は隊員たちとのお別れのパーティを開きたいとアメリカ軍に申し入れ、その願いは通じた。
最終夜。
それはとても奇妙な光景だったに違いない。
アメリカ軍がぐるりと取り囲む中、
隊員と島民とのパーティが始まった。
監視の目を気にすることなく、
島民と隊員たちは別れを惜しみ、
最後の酒をくみ交わした・・・。
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今日は終戦記念日。
どれほどの方々の、
どれほどの想いが、交錯した一日だったのでしょうか。
亡くなった方々の、ご冥福をお祈りいたします。
長文、読んでくださってありがとうございました。
(このブログは、再投稿です。)
