2000年の秋だったかな。
その頃はまだ車の運転もしてた母。
ただ、この頃から少し体調に違和感があったらしく、帰省時に“文字が書きにくかったり、たまにめまいみたいなんがするんや”と聞いていた。

私は短大への進学と同時に地元を離れているのですが、離れて暮らす娘に心配かけまいと(だと思う)、過去に何度か両親のどちらかに異変があった際もかなり経ってからの事後報告なパターンがほとんど。
で、この違和感の始まりのように現在進行形での話は珍しいことでした。

案の定、心配でしかないよね。

で、確かその年明けにはもう母が車を運転することはなくなってました。安全のためにね。
で、目眩のような症状の頻度も増えたきた…と、常に父と腕を組んで歩くようにぬってました。
(ちまたから見ればただのとても仲良しな夫婦に、見えてたんだろうな)

何度か幾つかの病院で検査を受け、はじめの頃は“原因がわからんのや”と、病気なのかなんなのかもわからず、検査入院なんかも受け、あれやこれやで2011年の3月。
福祉関係の仕事をしている(=私なんかよりは医療の知識も豊富)弟から「お母さん“多系統萎縮症”って病気の可能性がある。けどまだどんな病気かお姉ちゃんは調べん方がいい」と連絡が。

いやいや、そんなん言われても調べちゃうよね。
しかもその頃デスクワークだったので、仕事中やったけどその場ですぐググっちゃってました。
その直後にはなるほど、後悔しましたけれども、、。
弟が私に忠告したことの意味もわかりました。

何より目に飛び込んできたのは“余命10年”の文字。
その他は色々書かれててもほとんどピンときていませんでした。
けどまだ疑いなだけで確定じゃない…
いいながら仕事中にも何度かトイレに駆け込んだっけな。。。

で、4月。
確かその日は残業終わりに遅掛けから夜桜に行く予定やったっけ。
当時経理関係の仕事に就ていた私、一年で唯一残業のある一週間やったなぁ。
そんな時に再び弟からの連絡で、病名はやはり疑いのあった難病で確定やと。

前の連絡からの数日で調べたことがドバババァーっと頭をよぎりました。
で、定刻はすぎてる=結構自由なのをいいことに、トイレで号泣。
その時すぐには母にも父にさえも電話をかけることができなかったのを覚えています。

数時間後、落ち着いて花見に向かう途中に道端でやっと母に電話。
家族柄、どうしてもふざけたニュアンスで会話しようと試みるけど、この時ばかりはダメやったね。
絶対泣いたことなかった父までもが泣き声やったのには参った。

それから約一週間は一人になると毎日めっちゃ泣いてた。
なんで、なんで私のお母さんが!?って。
神様なんていない、いるとしてもそいつは悪人や!って。
そして、これからどうなるの!!?って。

家族のこと、母のことを考えるだけで悲しくて涙が止まらない毎日やった。

繁忙期につきすぐに実家に駆けつけることもせず、その頃の本当の母の心境はぶっちゃけわからりません。
けど私たちの前ではさすが、前向きでした。

最近聞いた話によると、病院で診断された時も母はとても強く構えていたらしく、看護師さんたちもビックリしていたんだそうで。
とはいえ、近所の人に会って励まされたり、電話でこの事を話すたびに泣いてたのを見てるし、実際お風呂とかで一人で泣いてた事実も後で本人から聞いて知ることもありました。

今回はざっと発症~現在までの経過を綴ろうと思ったけど、やはりこの診断前後のことは数行ではまとめられません。
これでもだいぶまとめてるつもり。

この頃の家族の決意や励まし合いのメールなどはまだ昔のスマホに残ってるかなぁ…。
ぶっちゃけ「ドラマですか!?」とつっこみたくなるくらいの家族のやり取りです。
けどねー、そうなるよ。

さて、お次は病気と向き合おうと動き始めた頃からのお話でも掘り起こそうかと思います。

はい、当分は私の記憶探りからの記録になります。