
ヤマトタケルの墓はどこにあるのか。
三重県の能褒野王塚古墳、白鳥塚古墳、
奈良県の琴弾原白鳥陵、
大阪府羽曳野市の軽里大塚古墳。
白鳥伝説が残る地を実際に巡りました。
ヤマトタケルとは ― 白鳥伝説の英雄
ヤマトタケルは『古事記』『日本書紀』に登場する倭(ヤマト)の皇子です。
西国遠征、東国遠征、草薙剣の伝承、そして伊吹山での最期。
その死後、魂は白鳥となって飛び立ったと記されています。
この白鳥伝説が、各地に「白鳥塚」「白鳥陵」と呼ばれる古墳を残しました。
1.能褒野 ― 英雄、最期の地
『古事記』『日本書紀』によれば、ヤマトタケルは三重に至り、能煩野/能褒野(ノボノ)でその生涯を終えたと伝えられます。
倭にいた后や子らは、この地に集い、陵を築きました。
『古事記』には、田を這い回りながら泣いたと記されています。
いま現在、
広がっているのは、穏やかな田園風景でした。
田のあぜ道を、自転車が通り過ぎていきました。
風に乗って届く、制服姿の子どもたちの笑い声。
ここには、いまを生きる時間が流れていました。
千数百年前の物語とは、まるで別の時間です。
能褒野王塚古墳(三重県亀山市)
陵と伝わる古墳の前に立つと、
空気がひとつ、深くなるような感覚がありました。

その森の奥に、確かに“眠り”がある。
そう思わせる静けさです。
能褒野神社|ヤマトタケルノミコトを祀る神社
明治政府によって、能褒野王塚古墳が陵と比定されました。
けれど、それ以前から、
ヤマトタケルが亡くなったという記憶が、
別の場所にも息づいていました。
白鳥塚古墳(三重県鈴鹿市)
白鳥塚古墳。
江戸時代、国学者・本居宣長はここを能褒野と考え、
その名は諸国に広まりました。
歌川広重の浮世絵等にも描かれています。
加佐登神社|ヤマトタケルノミコトを祀る神社
加佐登(カサド)神社。
古くは「笠殿(カサドノ)」と呼ばれた社。
ヤマトタケルの笠を納めたことに由来すると伝えられます。
静かな境内には、どこか素朴な時間が流れていました。

近くには、冠を納めたと伝わる宝冠塚。
そして、装束を納めたという宝装塚。
英雄の持ち物だけが、地に残りました。
人は去り、
名は残り、
そして土地が、それを抱き続けています。
白鳥が飛び立ったあと、今でも。
2.琴弾原 ― 書紀に残り、記に残らず
『日本書紀』では、白鳥は三ヶ所に留まったと記されます。
一方、『古事記』では二ヶ所。
その差異の中にあるのが、琴弾原(コトビキハラ)です。
琴弾原白鳥陵(奈良県御所市)
大きな社もなく、
ひっそりと守られるこの地。
『古事記』に記されるか否かが、
場所の記憶の濃淡をも左右する。
そう思わせる静けさが、そこにはありました。
3.軽里 ― 白鳥、羽を曳く
大阪府羽曳野市(ハビキノシ)。
地名は「白鳥が羽を曳いた」ことに由来すると伝えられます。
軽里大塚古墳(大阪府羽曳野市)
もともと「伊岐宮(イキノミヤ)」として陵の傍らに鎮座していたと伝わる社があります。
白鳥神社|ヤマトタケルノミコトを祀る神社
魂が留まった場所に社が建つ。
それは、記憶を未来へと手渡すための営みでもあります。
白鳥伝説は、時代を越えて
英雄の名は、
後の時代に生きる者を縛ることもあります。
仲哀天皇もまた、
ヤマトタケルの名の影の中にありました。
その物語を、小説「神功皇后 ― 海を越える巫女王 ―」
第4話「英雄の名の代償」で描いています。
▶ 神功皇后と仲哀天皇の物語
小説「神功皇后 ― 海を越える巫女王 ―」は
こちら
アクセス
■ 能褒野王塚古墳
別名: 景行天皇皇子日本武尊能褒野墓・丁字塚古墳
所在地:三重県亀山市田村町1393
アクセス:
🚃JR亀山駅から三重交通 バス「長沢」行き15分「川崎農協前」下車徒歩20分
🚗東名阪自動車道・亀山ICより国道1・306号経由10分
(無料駐車場あり)
■ 白鳥塚古墳
所在地:三重県鈴鹿市
アクセス:
🚃 JR関西線 加佐登駅より 徒歩20分
🚌近鉄平田町駅より C-BUS椿・平田で 15分〜加佐登神社前下車 徒歩5分
🚗 東名阪 鈴鹿ICより 車で10分
🚗国道1号線 上野町交差点より 車で5分
(無料駐車場あり)
■ 琴弾原白鳥陵
別名:日本武尊陵
所在地:奈良県御所市冨田
アクセス:
🚃近鉄葛駅から徒歩約34分
(駐車場なし)
■ 軽里大塚古墳
別名:日本武尊白鳥陵
所在地:大阪府羽曳野市軽里3丁目
アクセス:🚃近鉄古市駅から徒歩約11分
🚗西名阪自動車道「藤井寺IC」から約10分
🚗南阪奈道路「羽曳野IC」から約8分
(駐車場なし)