仲哀天皇の息子の中で最も影の薄い子供、品屋別/誉屋別(ほむやわけ)にゆかりのある神社を発見したので、行った。
 

 

伊奈冨神社(いのうじんじゃ)

三重県鈴鹿市稲生西2-24-20

 
サムネイル

いのう神社。「稲生」神社って表記で良かったろうに、なんでわざわざ「伊奈冨」という感じを使っていて、しかも読み方が「いのう」なのやら…。ややこしや。

 

 

御祭神

主祭神 

 保食神大国道命(うけもちのかみ おおくにみちのみこと)(大宮)

 

相殿

 豊宇賀能賣命(とようかのめのみこと) 稚産霊神(わかむすびのかみ) (西宮)

 鳴雷光神(なるいかづちひかりのかみ) 大山祇命(おおやまつみのみこと) (三大神)

 

 

保食大神は一切の食物をつかさどられ、ことに私たちの命の根元たる 稲の生産豊穣を守護される神様であります。

 

 

また、大神様は豊受大神(外宮)、 稲荷大神と同神で、その御神徳の及ぶところ広大無辺にして五穀豊穣、諸業繁栄 (商売繁盛)、家内安全、厄除開運、良縁成就、学業成就、病気平癒等の御霊験 あらたかな大神様であります。

 

サムネイル

「豊受大神(外宮)と同神」ってのが、伊勢神宮に近い神社って感じ!

 

 

御由緒

当神社は社伝によれば、神代、東ヶ岡(鈴鹿サーキット地内)に御神霊が出現せられ、霊夢の神告により崇神天皇五年勅使参向のもと、「占木」の地にて社殿造営の地を占われ、神路ヶ岡に大宮、西宮、三大神を鎮座されました。

 

 

その後 仲哀天皇の御子 品屋別命の子孫(磯部氏)が代々当社の神主として仕え、

雄略天皇五年には数種の弊物が奉納され、主祭神保食神には「那江大国道命」の 御神号を賜わりました。

 
サムネイル

う~む、この書き方だと、品屋別命(ホムヤワケノミコト)自身が神主になったのかどうかは微妙なところだなぁ。

 

はっきり分かるのは「ホムヤワケに子孫がいた」ってことね。

サムネイル
 
サムネイル

そう!

後継争いに一切出てこなかいから、早死にしたのかな、とも思ってたんだけど、そういうわけではなかったらしい。

 

『古事記』では神功皇后の子供ってことになっているけれど、それなら出て来ないのは異常。

『日本書紀』にあるように別の女性の子供であり、天皇の後継者に選ばれるような身分ではなかったと考えるのが妥当だというふうに思う。

 

 

稲の神様らしく、絵馬が米粒の形だった爆  笑

 

 
雨の壺って面白いね。

 

 

降って奈良時代天平年間、行基上人が別当寺の神宮寺を建立され、

更に平安時代天長年間には弘法大師が参籠の折、菩薩堂を建立して 三社の本地仏を祀り、七島池を一夜にして造られたと伝られております。 (以下略)

 
サムネイル

弘法大師 空海が一夜で作った池!

 

 

近くには花菖蒲が咲いていた。