雲八幡宮

大分県中津市耶馬溪町宮園407

 

 

灯篭の笠の部分が立派な石🪨

 

 

本社の境内から400m下流に神功皇后が三韓征伐の帰途、腰掛けた石があるという。

 

その後、大宝3年(703)、この石から七色に輝く雲が立ちのぼり童形の神様がご出現になったと伝えています。この石は「雲石さま」と呼ばれ、里の人に崇敬されました。

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この、童形の神様の出現をもって雲八幡宮の始まりとするわけね。

 

個人的には、703年の神様の出現よりも、神功皇后が来た話しの方がめちゃくちゃ重要。

 

 

大分県内の神功皇后伝承は多くはない。

多くはないが、大分(宇佐方面)へ向かったという伝承が福岡県内にもあるから、繋がりが気になる。

八幡信仰を広める目的で作られた話、で片付けてはいけない何かがあるのではないかと探している。

 

もし神功皇后がこちらへ行っているのなら、どういう理由やルートでなのか。

 

 

でもね、その詳しい伝承が神社に残っているかというとそうじゃない場合も多い。

また、生前の「実在の人物としての神功皇后」と死後の「神様としての神功皇后」は一致しないし、神社によっても扱いが異なるから、人と話す時はその辺りの距離感が難しかったりする。

 

 

社務所に人がいないから、他の参加者の方が「御朱印欲しいんですけど」って連絡したら、女性の方が先に来て、宮司さんも来てくれた。

で、宮司さんは話し好きっぽくて、説明の為のあれこれを用意してお話ししてくれた。

ありがたや🙇‍♀️

三韓王降参之図っていう、三韓王の方に螺鈿が多く使われている浮世絵の話とか、なかなか面白かった!

 

ただ、私達がかなり特殊な集団でありまして。

一般の参拝者は、祭神が誰でどういう人物なのかなんて考えてない人が大半だけど、このバスツアー参加者はね!違うの!

祭神について、めちゃくちゃマニアックな知識をもって考察をするのを楽しむ集団なので、その辺りが噛み合わなくてモニョモニョした💦

 

あと、1日で何ヶ所も回る予定だから、長時間対応前提で話を進められると困ってしまう。

そしてそれを丁寧に断れたら良かったのだけど、丁寧に断る前に、他の参加者の方が結構ズバッと言ってしまって、ハラハラした💦💦💦

 

 

宮司さんのお話し中、女性の方が書いて下さった御朱印。

 

 

当初は腰掛石にも行く予定だったのだけど、行き違いとかもあって行かないまま次の目的地へ行った😔

 

 

 

けれど、神功皇后伝承以外にも面白いものがあったので、雲八幡宮篇続く。