安原八幡神社の
此の地は武内宿禰生誕の地で、一族が阿備柏原(市内松原字柏原、当社の南東1㎞、宿禰誕生之井あり武内神社を祀る)に居を構えて勢力をほこっており、安心して皇子を託すことができたからである。
というわけで、武内神社へ。
安原八幡神社から歩いて14分の場所。
安原八幡神社の摂社という関係。
武内神社
和歌山県和歌山市松原97
社殿が大きいのは安原八幡神社だけど、神社の由緒や歴史を紹介する上では、武内神社の方が重要度が高い。
武内宿禰産湯の井戸
この井戸は、古代に武内宿禰が誕生した際に産湯に使用したと伝えられる井戸である。
武内宿禰は、紀伊国の豪族の娘と大和王権の皇族との間に生まれ、第十二代景行天皇から第十六代仁徳天皇に至る二四四年間も仕えたとされる長寿を誇る伝説上の人物である。
〜当時の成人年齢が15歳位で、15歳で天皇に仕えたり子供作ったり出来るだろうという前提で考える〜
⚫︎12代景行天皇の御代、日本武20歳、13代成務天皇15歳、14代仲哀天皇5歳。(武内宿禰15歳)
⚫︎14代仲哀天皇30歳で没。忍熊王15歳、応神天皇0歳。(武内宿禰40歳)
⚫︎15代応神天皇15歳、仁徳天皇0歳(武内宿禰55歳)
⚫︎16代仁徳天皇20歳、菟道稚郎子15歳(武内宿禰75歳)
今、大河ドラマで出ている藤原道長だって、1人で5代に仕えているのだから、武内宿禰も1人で5代に仕えてておかしくなかろう。
『古事記』によると、第八代孝元天皇が、その皇子の比古布都押之信命を祭祀のために紀伊国に派遣した際、紀伊国造の娘である山下影日売との間に生まれたとする。
一方、『日本書紀』によると、第十二代景行天皇が、皇族の屋主忍男武雄心命(孝元天皇の孫)を派遣して、紀直の娘である影媛との間に生まれたとしている。
また、彼は蘇我氏・葛城氏・巨勢氏などの古代の大豪族の祖として祀られている。歴代の天皇に仕えるほどの長命を保ち、国家に忠誠を尽くし、子孫が繁栄したという点で、古くから理想的な人物としてたたえられてきた。
江戸時代の地誌である「急伊焼風土記」によると、紀州徳川家では、藩主に子どもが生まれると、彼にあやかるためとして、その子の長寿を願って、必ずこの井戸の水を産湯として用いたと伝えている。
本殿の隣に「長寿殿」がある。
覗くとこんな感じ。正面に「たけうちたんじやうの井」の碑あり。
本殿側から中に入れる。
井戸汲みなんて普段する機会がない。
こんな風に用意されていたら、井戸汲みチャレンジしたいよね。
これが、武内宿禰や紀州徳川家が産湯に使っていた水っ‼
しかし、香椎宮の長寿の水と違って飲むのに良い水というわけではなく、産湯に使いようもないので、キャッチ&リリースで水は井戸に戻しましたとさ。














