麛坂王と忍熊王は、共に菟餓野に出て、神意を伺う占いをして、
「もしこのことが成功するのなら、きっと良い獲物が取れるだろう」
と言い、二人の王は仮りの桟敷におられた。
すると、赤い猪が急に飛び出してきて桟敷に上って、麛坂王を喰い殺した。
兵士たちは皆おじけづいた。
忍熊王は倉見別に語った。
「これは大変なことだ。ここでは敵を待つことはできない」
軍を率いて退却し、住吉に駐屯した。
(『日本書紀』神功皇后)



 
神戸夢野氷室神社(ひむろじんじゃ)
兵庫県神戸市兵庫区氷室町2丁目15-1
 
※町の名前は「氷室町」で「夢野町」と分かれてしまっているけど、ここも「夢野地区」らしい。
 

 

菟餓野だとされる場所は他にもあるのだけれど、ここも候補地となっている。

 

明石に造った陵と、退却して向かった住吉との位置関係的に、氷室神社の場所はちょうど良い。

 

 

ここ夢野は元来「禁野(きんや)」といい、皇室の所有地として殺生禁断の地だったそうよ。

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地名伝承って大体読みが似てるものだけど…。
「禁野」と「夢野」「菟餓野」はどう繋がるの?

 

 

夢野の鹿 (氷室神社神使)

 

むかし雄伴郡(おとものごおり=いまの神戸市の湊川以西の地方)に夢野というところがありました。

そこには、はじめ刀我野(とがの)とよばれていて、ところどころにこんもりした森があり、草原が広がり、小川にはきれいな水が流れていました。いろいろな小鳥が遊び、 きつね・野うさぎ・りすなどのかわいい動物たちが暮らしていました。

 

そのなかに一組の夫婦の鹿がおりました。このころは夫婦はいっしょに住まず、夫が妻の家を訪問して翌朝帰っていく習慣でした。

ふとしたことから、牡鹿は遠くの海をわたった向こうの淡路の野島に住む北鹿と仲良くなりました。そのため牡鹿は、夢野の北鹿のことをすっかり忘れてしまった かのように、くる日もくる日も、野島の牝鹿のところへ遊びにいっていました。

 

夢野の牝鹿はさびしくてなりません。 ある日、牡鹿が夢野の牝鹿のところへ、ひょっこりと訪ねてきました。一夜明けて、 目ざめた牡鹿は、牝鹿にこんなことを話しだしました。

 

「じつはね、昨夜わたしは奇妙な夢を見たんだよ。一つは、私が眠っている間に、 私の背中にこんもりと小山のように雪が積もっている夢なんだよ。もう一つは、 私の背中一面にすすきが生え茂っている夢なんだ。これはいったい、何の知らせなんだろうね。これは良い夢なのか、それとも悪い夢なんだろうかね。」 

 

北鹿は、牡鹿が自分のところへこないで、野島の恋人のところへいくのをねたましく思っていましたので、それをここでとめようとして、こう答えました。

「それはたいへん悪い夢ですよ。背中にすすきが生えるということは、猟師の矢が からだに立つことです。また背中に雪が積もるということは、肉が塩づけにされ るしらせです。あなたが野島へわたろうとされると、かならず猟師にであって海 の上で射殺されるでしょう。うっかりでかけてはいけません。どうか、ここにじっといて、どこへもいかないでください。」 

牡鹿はもっともなことだと思って、しばらくは北鹿のいうとおりに夢野にいましたが、どうしても、野島の北鹿のことが忘れられません。

 

そして、とうとうあいたい気持ちを押さえきれずに夢野をでて、野島へむかいました。そして海を泳ぎすすんで、もうすぐ淡路島へたどりつくという少し手前で、 浅瀬の岩へあがって休んでいました。そこへ突然、猟師が船にのってあらわれて、牡鹿を射殺してしまいました。 

それから、この野原を夢野とよび、「鹿の夢しらせは、良いように思えば良くなり、 悪いように思えば悪くなる。」といわれるようになりました。

 

郷土の民話神戸編(兵庫県学校厚生会)

 

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「菟餓野」→「夢野」なのね。

 

 

 

 

「刀我野」については、↑に

「夢野の鶏塚は、大山守命が鶏を闘わせ、企ての成否を占った地とされる。(中略)鶏が闘ったところは『闘鶏野(とがの)』と呼ぶようになったという。」

とあるので、地名の由来としての信憑性はさておき、ともかく、昔この地は動物を使って占いをするような場所だったかなという雰囲気ではある。

 

 

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かつては香坂王の墳墓も近くにあったのね。

 

 

歩いて1分程度の場所にある氷室公園。

 

 

香坂皇子の墳墓も、額田大中彦皇子を祀る古殿神社も、今となってはさっぱり分からないけれど、かつてはこの辺りにあったらしい。

 

(大山守命や額田大中彦皇子については、次回。)