八代神社

熊本県八代市妙見町405

 

 

八代神社は、明治4年(1871) まで妙見宮と呼ばれ、文治2年(1186)に 検校散位 大江朝臣高房がこの地に創建したと伝えられています。 祭神は、北極星と北斗七星を神格化した天御中主神と国常立尊です。

(略) 

11月22・23日の秋季例大祭である妙見祭は九州を代表する都市祭礼で、 「八代妙見祭の神幸行事」として国の重要無形民族文化財に指定されています。(境内案内板)

 

 

丁度、神職の方が鳥居前の辺りにいらっしゃって、お話してくれたよ。

ピンクのお召し物が素敵ですね。

左に写っている木は、八代郡を治めることになった小西行長(キリシタン)が燃やしたけど生き残ったと伝わるとか…なんかそういう話だったと思う。

 

(御朱印頂いた際にもらった地図)

八代神社と、末社である霊符神社とセットで行く人が多いそうな。(私達は今回パス)。

霊符とは、中国のキョンシーが額に貼っているお札を想像すると分かりやすい。

あんな感じの札を信仰しているのだけれど、普段、その札は見ちゃいけないことになっているのだと。

見れないものだから、存在を知る人が少なくなり廃れていったそうだよ。

古いお家の襖の裏とかから発見されたりするらしい。

 

推古天皇の時代、百済国聖明王の第3王子、琳聖太子が八代に渡来した際に伝えられていて、日本最初の霊符神とされているとか。

 

 

八代神社は、八代神社って名前より、妙見宮で良いんじゃないかな…。

「三大妙見」の1つと呼ばれたりする。(ただし、この呼び方は比較的最近らしい。)

 


中国から妙見神が亀蛇に乗って伝わってきたのが始まりとされている。

そんなわけで、亀蛇(ガメ)があちらこちらで見られる。

 

 

妙見祭でも、ガメが一番目立ってる感じがする爆  笑

 

 

ガメは四神の玄武だそうな。


玄武は北の守護神。

北極星や北斗七星は北にあるから、玄武に乗っている表現なんでしょうね。

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境内には龍の子ピーシー(贔屓)だと書いてある案内板もあったけど、神職さん曰くそれは間違いだって⁉︎ガーン

 


贔屓ってのは、中国の神獣。

重きを負うことを好むってことで、石碑の土台の装飾によく使われる。


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玄武と贔屓、どっちも亀に似た生き物ってことになっているから混同しちゃうよね💦


↓の石碑の下にいるのは贔屓(ひいき/ひき/ピーシー)。

石碑の台になっているのは贔屓を亀趺と呼ぶらしいから、「亀趺」の由来、とするのが正しかったのかも?



妙見由来

妙見神は聖なる北極星・北斗七星の象徴なり。


 

妙見神の来朝
天武天皇、白鳳九年(六八〇)、妙見神は、神変をもって、目深・手長・足早の三神に変し、遣唐使の寄港地、明州(寧波)の津より「亀蛇(玄武)」に駕して、当国八代郷八千把村竹原の津に来朝せり。


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目深・手長・足早とは?


はっきりしないわ。
渡来人の風貌だとか、手長足長は小熊座・大熊座をさすから目深・手長・足早も星座なのではとか…

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個人的には渡来人を表すって方がしっくり来る。

目深=目の辺りの彫りが深い人
手長=腕が長い人
足早=足がはやい人(脚が長い人)

そういう人が、天武天皇の時代にやって来て、妙見信仰を伝えたのでしょう。


 

妙見宮(上宮)の創建
桓武天皇、延暦十四年(七九五)、乙亥、国司桧前(ひのくま)
中納言政丸、三室山横嶽にこれを創建す。

妙見中宮寺の創建
二条天皇、永暦元年(一一六〇)、庚辰三月十八日、従五位肥後守
平貞能、横嶽の麓に建立す。

妙見宮(下宮)の創建
後鳥羽天皇、文治二年(一一八六)、丙午十一月十八日、検校散位
大江高房、妙見上宮を太田郷宮地の地に遷座しめる。

 


手漉き紙の御朱印。

の今では紙漉きの工房が一軒だけになってしまったけど、昔はこの辺りに工房もいくつもあり、紙漉き職人が沢山いたそうな。