改めて、北部九州の神功皇后伝承地を細かく見ていた結果、私が導き出したルートはこちら!

 

 

上陸地は諸説あって正直どこか分からない。

暴風雨に見舞われたという話もある。

 

1つの船に全員が乗っていたわけではなく、一説には三千艘以上の船だったという話なので、それぞれがバラバラのところに漂着したとすると、あちこちに神功皇后軍が漂着したという場所があってもおかしくなかろう。

 
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神功皇后の仲間たちが漂着した場所が、「神功皇后が漂着した場所」として伝わっているのね。

 

じゃあ、神功皇后自身はどこに上陸したのかというと、香椎宮から遠くない辺りと考えるのが妥当かな、と。

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出産前に立ち寄ったとされるのが、下記3か所。
 
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香椎宮から宇美八幡宮の間にある神社だね。

 

そう。

そして、宇美で出産後のルートは、ショウケ越を通って飯塚に入るルートと考えて間違いなさそう。

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先日行った「神功皇后伝説に迫る⁉︎古代ロマン探訪日帰りバスツアー」で歴史資料館の館長曰く、ショウケ越のルートは「魏志倭人伝の道」と呼ばれているルートらしい。

 

魏志倭人伝では奴國の後、

「東行至不彌國百里」とあるわ。

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だから、西から東を横断するルートが「魏志倭人伝の道」なのね。

 

不彌國が「宇美」なのか「穂波(飯塚市立岩あたり)」かで対立しているそうなのだけど、

宇美までは奴國で、ショウケ越の先が不彌國って方が妥当な気がする。

 

神功皇后の伝承を辿ると、古代使われていた道を知る手がかりにもなるぞと思われて、ワクワクしたのでした♪