大善寺玉垂宮

福岡県久留米市大善寺町宮本1463-1

 

目の前には広川。

 

 

 

 

根本社

 

 

立派な楼門!

 

祭神

玉垂命(藤大臣(とうのおとど)・高良大明神とも称す)

八幡大神

住吉大神

 

 

 

藤大臣は神功皇后の三韓出兵に大功があり、玉垂宮と神功皇后との関係が深い。

『吉山旧記』によれば、藤大臣は仁徳天皇55年に賊徒退治の勅命を受け、この地に下り筑紫を平定し、同57年 高村(大善寺の古名)に御宮を造営し筑紫の政治を行ったが、仁徳天皇78年にこの地に没し祀られ、高良玉垂宮と諡されたと伝えられます。

 

 

玉垂命=藤大臣とは何者なのか。

ここで思い出したのは、宮地嶽神社の祭神であり忌宮神社にも名前があった「藤高麿・藤助麿」兄弟。

 

 

大善寺には「鬼夜」という祭りがある。
 

『吉山旧記』によれば仁徳天皇56年1月7日、藤大臣が勅命により当地を荒し、人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪(ゆすらちんりん)を闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取り焼却したのが始まりだと言われています。

 

沈輪(ちんりん)だって!?

塵輪(じんりん)の仲間じゃない!?

 

 

仁徳天皇の祖父にあたる仲哀天皇の時代に新羅からやってきて、仲哀天皇と共に藤(阿部)高麿・藤(阿部)助麿が戦った、あれ。

 

大善寺玉垂宮にある長い竹を見るにつけても私は、忌宮神社にあった長い竹を思い出した。

 

 

忌宮神社の数方庭祭では竹に火を付けはしないから、違うといえば違うのだけど、あまりに連想させられる。

 

 

大善寺玉垂宮の昔の名前は御舟山大善寺。

凱旋の時にこの神様が船をここに繋いだことから御舟山の名がついたという。

船を指揮していたのは阿曇磯良だったはずだから、阿曇磯良が玉垂命=藤大臣なんじゃないかというのが綾杉先生の見解。

 

なるほど!

とは思うものの、軍として行ったなら船を操縦する人物は1人じゃないだろうし、指揮官と船を繋ぐ人って同じとは限らないんじゃないかなぁとも思う。

 

このクスノキは神功皇后の船をつないだものと伝わる。そのものでなく、子孫かな?

 

神功皇后が新羅に出兵した折に、蜷貝に助けられたという伝説がある。

神功皇后が三韓との戦いで干珠を海中に投げ、海が干潟となり敵の船がひっくり返った際、皇后の船もひっくり返ろうとしたのを、たくさんの蜷貝が船を囲んで守ったお蔭で無事に帰国して、船をここに納めたんだと。

そしてその蜷貝は今もこの木にいるそうな。

 

蜷貝というのは、小さな巻貝の総称なので、↑も蜷貝。

 

神功皇后、魚に助けられたり貝に助けられたりしてて、なんか、良いよね。

 

ところでこれはなんでしょ。

狛犬でもなさそうな、なんとも言えないゆるさが可愛い。

 

 

ところで。

今は玉垂命か主祭神だけど、その昔は女神を祀っていたそうな。

 

 

それが宗像三女神というか水沼女だろうって話だったんだけど、女神ってだけなら神功皇后でも良いような…。

と思ったら、大善寺玉垂宮HPに「大善寺玉垂宮の創建については謎が多く明らかではないが、景行天皇の皇子国乳別(くにちわけ)皇子を始祖とする水沼君が当地を治められたとき、その祖神を祀ったのが玉垂宮の前身。」って書いてあった。

これじゃん!

 

 

 

 

 

 

 

虹が見えた!

 

 

 

 

 

サイの神。

 

 

 

 

中には陰陽石が祀られていた。

 

 

 

 

 

こういう、物見櫓っぽいものがあるせい?

わからないけど、敷地内がなんだか、うまく言えないけど独特な作りだった。