久しぶりのバスハイク🚌💨

1発目は、二見ヶ浦でした⛩

 

 

海の中の白い鳥居が良いよね⛩

波飛沫も良い感じ🌊

 

 

夫婦岩🪨🪨

定番のデートスポットですね。

 

もちろんデートでなくとも定番の観光スポットであり、私達が着いた時にも結構沢山の人が見に来ていた。

バイクもちらほらいて、私もバイクでここまで来れるようになりたいな〜。てか、なる!はず…。



筑前二見ヶ浦(櫻井神社HPより)


二見ヶ浦は当社の宇良宮(うらのみや)として、伊弉諾命と、伊弉冉命をお祀りしております。


寛永6年(1629)
のご神宣に『わが邦、神の末より海と人との通路を断ちて二千余年を経たり、今故ありてここに現ず、岩戸は海の宮の通路なり、正直を心として謀計を断ち清浄にしてわれに仕えなば、禍を除き安穏ならしめんとなり』とあります。

 

 イザナギ・イザナギが祀られているにしては、「岩戸は海の宮の通路なり」っていうのは違和感あり。

ワダツミ系っぽい🌊


お産の後、海に帰ってしまい山幸彦やウガヤフキアエズの元に戻って来なかった豊玉姫、もしくはその父が祀られててしかるべきって感じがする。

だから、後でイザナギ・イザナミに祭神とってかわられたんじゃないのかなーって、思ってしまったりして。


いやまぁでも、海と人じゃなくてもあの世とこの世で、離れ離れになってしまったイザナギ・イザナミを祀るのはありだよね。と、思い直してみる。

2つ並んだ岩を夫婦とし、夫婦神を祀ろうとする発想は好き🪨🪨


 

櫻井神社

福岡県糸島市志摩桜井4227

 

 

 太鼓橋と木が良い感じ🌳



櫻井神社略記


当社ご創建の基は、慶長十五年(1610)六月朔より二日の暁にかけて、大雷雨が起こり突如電光一閃のうちに岩戸神窟が開け、ご神霊が顕現されました。それから、様々な霊験あらたかなことが起こり、それを聞き及ばれた福岡藩二代目藩主黒田忠之公は家臣を二回に渡り遣わして問われるに、その答え寸分も違わず御験(みしるし)があったので、益々ご神威に感謝され、寛永9年(1632)に現在の豪華絢爛なご社殿をご創建され、現在もその当時の姿を留め本殿・拝殿・楼門は福岡県の重要文化財に指定されております。

 


顕現されたご神霊とは?

黒田忠之公が家臣を二回に渡り遣わして問われたのは誰になのか。


 

貝原益軒の書き残した当時のあらましを、以下にざっくり書く。




岩戸神窟が開いた際、ある女性(浦さんの妻だそうで、以降、浦姫と呼ばれる)に神が降りてきた。

浦姫は占いがすごく当たると評判になり、黒田忠之の家臣のみならず本人が直接話を聞きに来る程までになった。

黒田家のお家騒動についても、忠之は浦姫のアドバイスを聞き「しるへにや 雀の千声 鶴の一声(家臣達の千の声より神の一声が自分の道しるべだ)」という言葉まで残している。


忠之は神託により、アマテラスを祀る櫻井大神宮を建て、その後に、與止姫を祀る與止姫大明神を建てた。



ここの扁額、外は「與止妃大明神」ってなっていて、内側は「櫻井神社」となっている。

明治2年(1869)に櫻井神社と改称されたそうな。

ふーん。



祭神は神直日神、大直日神、八十枉津日神って事になってるけど、櫻井神社が出来たエピソード聞くと違う感じする!


祭神は、與止姫=浦姫じゃないの⁉︎

と思ったら、浦姫神社ってのはちゃんと、櫻井神社の境外摂社にあった。




実は「與止姫」という名前に、私はすごく心当たりがあった。

神功皇后伝承を色々見ていた際に見かけた名前の1つ。



佐賀に與止日女神社という神社があり、『延喜式神名帳頭註』の『肥前国風土記』逸文には以下のように書かれているという。


與止日女。

風土記云、人皇卅代欽明廾五年甲申冬十一月朔日甲子、肥前国佐嘉郡與止姫神有。一名豊姫、一名淀姫。乾元二年記云、淀姫大明神者、八幡宗庿叔母神功皇后之妹也。三韓征伐之昔者、得于滿滿两顆、而没異域之凶徒於海底。文永弘安之今者、旋風雨之神變、而摧幾多之賊船於波濤云云。河上大明神是也。




與止姫=豊姫=淀姫で、神功皇后の妹。

三韓征伐の際に満珠干珠を得て敵を海底に沈めたのが彼女だという。


↑の豊姫ね。

そして與止日女神社でも、與止姫は豊玉姫とも言われているらしい。



ウガヤフキアエズを産んだ女性と神功皇后の妹が同一人物とは思わないけれど。


…豊玉姫が降りて来た巫女の事をヨド姫とかトヨ姫と呼ぶ、って感じ?



社殿の横を通りながら建物を見る。



残っている部分から察するに、色鮮やかで華やかな神社だったんでしょうね!



順路って事で、本殿へ向かう。



本殿、よね?この岩戸宮。






大雷雨で開けたという岩戸神窟。



元々ここに古墳があって、それが大雨により表に出て来たんじゃないかという話。



公式サイトには【御神霊顕現の神窟】とだけあり祭神が書かれていないのだけど。


『福岡県神社誌』には
社殿の後なる神窟に奉祀せる神は大綿積神なり、岩戸宮と崇称す。櫻井神社御縁記に依れば、後陽成天皇の御宇慶長十五年六月二日神窟の口始めて開け神の出現あり

とある。

あれ、顕現したの大綿積神なんじゃん。



でも神社名は「與止妃大明神」なのは、黒田忠之がありがたく感じたのが、浦姫という巫女の言葉だったからなんだろうなー、と思うのでした。



岩戸神窟から出土した品は別の場所に持ってかれてたりして、当時何がどれだけあったか分からなくなってるみたい。
この辺りも古墳っぽくあるけど、調査は行き届いてない様子。
古墳って案外至る所にあるけれど、その上に建物建てたりとかしてる事も多いし、調査ってなかなか難しいよね…。

摂社たち。八幡宮。


金比羅神社。



個人的に好きだったこれ、二見ヶ浦遥拝所。

これなら何を拝みたいか分かり易くて良い🪨



このミニチュア岩が可愛くて、他の参加者の方とも可愛いですねーって話した😆



ところで、門のところにあったコレなんだろ?



黒田忠之は、黒田騒動の原因となった当主。


官兵衛(ドンシメオン)や長政(ダミアン)の棄教、そして弾圧や、廃嫡の話。

そういうあれこれが櫻井神社や東長寺に繋がったんじゃないかという話は大変面白かった。


ちなみに、過去に東長寺に行った時の様子↓

東長寺も忠之であったり、弘法大師的にもかなり歴史のある寺みたいだから、そのうちちゃんと調べて記事書きたい。




続く。


天神900=桜井二見ケ浦=櫻井神社=久米神社=志摩歴史資料館=大祖神社・大門神窟=新町遺跡展示館=綿積神社・万葉の郷=志登支石墓群=志登神社=産宮神社=天神