出雲大社、二の鳥居を入ってすぐ。
千家尊福公銅像
千家尊福は明治5年(1872年)、出雲大社の大宮司に就任。第80代出雲国造となる。
元老院議員、貴族院議員を経て、埼玉・静岡・東京の知事、司法大臣までも務めたそうな。
すごい政治家だ👀
というわけで、出雲大社にある千家氏関係をば。
永職館(えいしょくかん)
これは、2014年10月、千家国麿氏(現: 出雲大社の権宮司)」が、高円宮憲仁親王の第二女子 (典子)と結婚したのを記念して奉納されたもの。
あ、そうだったの?
(次回、それについてちょっと書く予定。)
は、建物自体は何てないけど、壁の花が気になったのでそれだけ📷
朝顔かな?
出雲大社の信仰を広める布教機関として組織された出雲大社教を総括する出雲大社教教務本庁があるそうな。二階には結婚式場。
「出雲大社教」なんてものがあるのね👀
ちなみに、出雲大社教を創設したのは、千家尊福だそうな。
神楽殿の注連縄。
長さ 13m
重さ 5.2t
この大きさよ❗️
本殿とかがある方向から見た神楽殿。
本殿とかがある方向にある看板。
神楽殿は本来、千家國造家の大広間として使用されており、「風調館(ふうちょうかん)」と呼ばれていたそうな。
明治に入り、出雲大社教が設立されてからは出雲大社教の神殿としても使用され、現在では國造家大広間、並びに出雲大社・出雲大社教の神楽殿として御祈祷や結婚式をはじめ様々な祭事行事が執り行われているとのこと。
ネットで調べても何も出て来ない😣
実際どうかは分からない。
ただ…。
命主社の存在に気付いてなくて行ってなかったから、知った今、行きたかったなぁと悔やまれる。
「年の初めのためしとて…」で始まる「一月一日」の歌の歌詞は、千家尊福作❗️
って事で、歌碑。
(新春かくし芸大会で聞く曲だったのに、番組なくなっちゃったなぁ。)
出て道路を渡る。
祖霊社は幽冥主宰大神に坐します大國主大神の御恵みにお願いして幽世に帰りゆく霊魂を安らかに導いていただくために特に出雲大社教信徒の祖先や代々の霊神を鎮祭して冥福を祈りあわせてその霊魂を継ぐまつりのにわであります 明治六年創建
幽冥の神の恵しなかりせば
霊のゆくえは安くあらや
初代管長 千家尊福
…まだ全くしっくりこないのが、この、大国主はアマテラスに国を譲って幽冥の主宰になったって事。世界の永遠の平和と繁栄を祈る
国家氏族の存亡を賭けた大東亜戦争の冷厳数奇な運命に流され至純な愛国心を胸奥に秘めて出陣した幾多の戦友が雄々しくも散華して靖國の英霊と神鎮まった
国と国とが争い人間の生命を奪い合うことなきを悲願とし世界の平和と繁栄を祈った英霊の真情は不滅の歴史を綴り尊厳な伝統に生かさねればならない然し此の切望は今や遥か彼方に風化せんとしている
ここに思いを致し遺徳の顕彰を志すと共に我等の生ける証を建立の所為となし島根の桜と錨の男たちは微意を表明して島根錨会会長謹記す
昭和六十三年五月二十七日
銀河部隊之碑
建立之辞
昭和二十年六月、新鋭陸上爆撃機銀河を保有する第七六二海軍航空隊は祖国防衛の任を受け、其の
司令部及び攻撃第五〇一飛行隊を本県直江町所在の大社基地に、攻撃第四〇六飛行隊を鳥取県境港
市所在の美保基地に布陣せり。
同年八月終戦に至る間、当隊は本土侵攻の敵機動部隊、沖縄方面の敵基地及び艦船攻撃の主力として勇戦敢闘し、多大の犠牲にも屈せず、克く其の大任を全うす。茲に終戦四十周年をとし、誇り高き部隊及び基地の名を留め其の赫々たる武勲を讃伝せんとす。
昭和六十年九月吉日 部隊有志一同
山の感じと建物が好き。
出雲大社の神紋。二重亀甲紋(と剣花菱)、と一般的にいわれるけど、私は龍鱗紋説をとりたい。
理由についてはこちら↑
普段、神社行って宮司さんについてなんて考えないんだけど、出雲大社は宮司の存在感がすごいなと思ったのでした。
てか、千家尊福の、存在感かな。








































