神武天皇社(遠賀郡)に行き、田宮神社と春日神社(北九州市)に行き、兜も見て、さあもう十分だ帰るぞ❗️
と思ったのに、兜展のその室内に、小倉城のガラシャ展のチラシがあった。

あー、それ、気にはなってたんだよね。



「まあ、せっかくここまで来てるんだから、小倉に行くか」

Googleマップで調べたら、16時着予定。
ちょっと前に小倉城行って見てるから、もう、ガラシャだけを見るつもりで良いね👍と行く事を決意。

ところで私、もう何回来たのよっていう、ものすごく今更なんだけど。
小倉城が小倉駅(徒歩15分)より、西小倉駅(徒歩10分)からの方が近い事に気付いた。
何て事…。

これからは、今までよりちょっとだけ楽に行き来出来るぞ💪
緩やかな坂や階段をのぼり、


小倉城天守内へGO❗️



「ガラシャ展」っていっても、短刀1振と書状が2枚あるのみ。
それでも、一階の奥の一角に、ちょっぴり仰々しく展示されていた。
細川ガラシャ所有と伝えられる短刀 銘 兼吉(善定)。

綺麗な細工の拵え✨

ガラシャ用に作らせたものなのか、あったものを買ったのか、誰がガラシャに持たせたのか、何にも分からないけれど。
薄幸の美女が持ってたというのが似合う品だなあと思う。



ガラシャ所有ってわけじゃないけど、刀剣乱舞を始めたきっかけである慶長熊本イベントで、古今伝授の太刀と地蔵行平がガラシャの話をするもんだからつい、その2振はガラシャイメージ。


それはさておき。



書状は、当時 ガラシャが自害したと聞いたらしい加藤清正が書いた物と、後々になってから当時ガラシャの側にいた人が書いた物の2つ。

古文書をしげしげと眺めてみたところで、花押が見覚えのある加藤清正の物って事位しか分からないようなアレだったのだけど。
ガラシャが死ぬその時の事が心に染みて、ちょっとだけウルっとしてしまった。


ガラシャ夫人のミサ



親同士が仲良くて、親の上司にも望まれて忠興と結婚。
夫に愛されて、子宝にも恵まれて、この上なく順調な滑り出しだったろうに、父親が反逆者だとして辛い立場に立たされて、その後は夫の敵対勢力の人質になりかける。


死んだ事にして逃げ出す案もあったらしい。
でも、それを選ばなかった。


散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

潔く散るのが花だと、ガラシャは辞世の句を残しているわけだけど、かなり強がってつくったんじゃないかな、って思う。
まあ、辞世の句なんて元々そんなもんかも知れないけれど、本心というよりは、そういう死なんだと他人に思って欲しくて詠んだもの、だよなぁ。

もちろん、私に本当の事なんて分かるはずはないわけだけれど、書状を前にして私は、ガラシャはものすごい絶望の中で、生き続ける選択を捨てたんだというように感じた。



果たしてガラシャは、自身を花と思っていたのか。
がむしゃらにもがいて醜い姿を晒すよりは、花のように美しいと思われたまま死にたい。ってのはあったかも知れない。

分からない。
けど、こんな悲しい最期は嫌だな……。



忠興様が、ガラシャの正室印の事を言っていたので、買いに行った。
細川忠興のも買ってなかったからそれも一緒に買うつもりでいた。そこまでは、予定してた。

御城印を、イベント限定のとらっちゃの載った分しか持ってなかったから、普通のを買おうとして店員さんに尋ねたら、

「実は小倉城、御城印の種類がかなり豊富なんですよ❗️どれだけ商魂たくましいんでしょうねハハハ」ってな感じで、何種類もあるのを1つ1つ見せて説明してくれた。
種類がたくさんある事にまず驚いたけど、その男性の明るく気さくなノリに驚くやら、でも、とても好ましく感じた😊

どれにしようか悩んで、1番立派な金の虎のを選んだ🐯
「銀くらいから作れば良いのに、金が先にあったら銀が作れなくなっちゃいますね」なんて事も言ってた😆
そんな事言いながら、そのうち銀のも出てそうだな、なんて思ったりした。





小倉城もね、春秋のおまつりの事を考えても、かなりサービス精神旺盛な城だと思う。
独自の武将隊はいないけど、いない方が熊本城おもてなし武将隊呼んでくれるから、そこはないままでお願いするとして(笑)
まだもうちょっと、あんまり人が集まるような企画は出来ないだろうけど、これからも楽しませて欲しいなと期待😊😊😊

小倉城、またね❗️